body and soul


「俺ッ 付き合ってる奴いるんだって!」

 

山崎の知らないところで叫ばれた一言が、山崎に色んなものを運んでくるなど誰が予想できようか。 しかし歯車は確かに回り始めた。偶然と偶然が重なって、花粉がめしべに届くように。

 

あなたと深く

 

 

 

 

「山崎?」
「あ、すいません。只今戻りました」
「…上がれ」
「え、でも」
「いいから」
「…失礼します」

ふっと山崎は顔を緩めて、庭から縁側へ上がってくる。土方は戸を開けて部屋に入った。その土方に続く山崎の、足音に合わせて血が落ちる。畳には落すまいと山崎は布を持ち直した。土方は座って救急箱を広げている。

「二の腕だけか」
「はい」
「座れ」
「はい」

山崎は正面に座り、土方がその血に濡れた手をどけさせて傷口を見た。 静かな夜だった。珍しく酒盛りも喧嘩も怪談や猥談の類もやっていないらしい屯所は静か過ぎて、少し怖いと山崎は思う。異世界のようだ。だけど少なくとも腕の治療をしている土方の温かさは本物で、それだけが本物ならば何が嘘でもいいと思った。 痛みに眉をひそめ、ふっと思い出したかのように山崎は口を開く。

「例の貿易商はシロでした。動きが怪しかったのは、浮気を身内に隠すためだったようです」
「ンだよ…じゃあこいつは誰にやられた」
「…酔っ払いに、割れた瓶で」
「馬鹿かテメェは」
「…だって」

ぶぅ、と子どもみたいに頬を膨らませて、包帯が巻かれていく腕を見る。その手を辿るように土方を見て。

「うちのこと馬鹿にしてたから」
「…ンで喧嘩ふっかけたのかよ。お前も大概短気だな」
「ふっかけてませんよ、事故に見せかけて殴ったらキレたんです」
「それはふっかけたっつーんだよ。…こんなもんだろ」
「有難うございます。…だって許せなかったんですよ、」

土方が口を開きかけたとき、部屋の明かりが消えた。油が切れたのだろうか。一瞬の真っ暗闇、次第に目は月明かりで慣れてくる。山崎が屯所へ戻った頃は曇っていたのだが、すっかり雲が切れたようだ。

「…副長の悪口ばっかり言ってたから」
「…」
「ぜってーハゲの僻みだし…副長こんなにかっこいーのに…ハゲでも無能でも不能でもないっての。もう一発殴ってくりゃよかった…」
「…ったく…ンなのにいちいち絡んでたらキリねーだろうが」
「だってムカつく…」
「言いたい奴には言わせときゃいーんだよ。俺がそれ以上の仕事すりゃいい話だ」

僅かに火が生まれた。土方が煙草に火をつける。

「…副長」

正座の膝で手を握り締めて、ぐっと、真っ直ぐ土方を見つめた。火の映る鋭い目が、火色に光って山崎を見る。

「俺はあんたのためなら何でもします」
「…」
「この身も心も、全部あんたのもんだ」
「────じゃあ」
「はい」
「くだらねぇことで怪我するな」
「…でも俺にとっては下らないことじゃないんです」
「怪我したら減給な」
「エッ!」
「その分俺に足すから」
「職権濫用!」
「怪我しなきゃいいんだろ」
「…無茶苦茶っスね」
「────お前明日休みだったな」
「あ、ハイ、ちょっと私用で」
「……」
「……あっ…」

あははっ、土方が言わんとするところが分かって山崎はとりあえず笑った。火を点けたばかりの煙草を土方が灰皿に押し付ける。

「……」
「身も心も、だろ?」
「…ふくちょーが言うとやらしいなァ」

へらっと笑って、伸ばされた手をとって近付く。彼の足の間に納まって、夜の中、手を伸ばして頬に触れた。すぐそこにある呼吸。

「…」
「…ん」

甘い口付け、全ての感情を誤解させるような。全てを任せそうになる、彼に相応しくないものを捨て去って、真っ白になって。僅かな空気を求めて喘ぐ。でももう空気も要らない、ぎゅっと、土方の首に腕を回して、

「あ…」

あっ

熱い 呼吸が肌に絡む。上がった息を整える間はない。

「…ふくちょう、いたい」
「…悪、」

傷口に触れていた土方の手がどいた。でもいい、山崎が呟く。ゆっくりと、口付けながら、土方の手が服を脱がす。血で汚れた袖も固く縛った帯も、保っていた地位も理性も。甘い溜息が土方を熱くする。鋭い目が山崎を乱す。

「────さがる、」
「ハ……」

大切な 好きになれなかった名。 ふくちょう、山崎は応えて、器用な男だと思う。こんなに追い詰められているときに意識して名など呼べない。ただ無意識に求めるためだけに呼ぶ。

「   …あ」

欲しいものは特にない。何も変わらなくていい。────そう願う山崎も思わない土方も それが不可能だとは知っている。

「副長…」

だけどもう少しの間、と永遠を願っている。   

 

 

*

 

 

「ごめんなさい、遅れましたか?」
「………あ、いや」

一瞬見惚れていた男ははっと気が付き、慌てて隣の席を勧めた。女は優しく微笑んでそこに腰掛ける。喫茶店の一席に、向かい合った男女ともう一人の女。とてもフレンドリーな友人同士の3人に見えないのは、男と向き合って一人で座る女の所為だ。目をぎらぎらさせて、遅れてきた女を目踏みするように見つめる。

「わ…悪いな、こんなことに付き合わせて」
「ううん、」
「嘘だッ!」

隣の女にどぎまぎしていた男は、女の叫ぶような声にびくりとして水の入ったグラスを倒しかけた。

「あんたこの間まで彼女居るなんて言わなかったじゃないッ、どうせ友達とかでしょ!?釣り合ってないもん!あたしと付き合ってよ!」
「大声出すなって!」
「何よこんなッ、綺麗だけの女!ぼーっとして、頭悪いに決まってる!」
(…どっちがだ)

────戸惑ってみせるその内面下で、山崎は女に向かって舌を出す。頭が悪いのは事実だが、彼女もとてもそうは見えない。勿論学力的なことを言っているわけではない。
しかし────わざわざ休みを取ってまで、面倒なことに巻き込まれている自分をつくづくお人好しだと思う。 仲のいい隊士が厄介な女に惚れられたとかで、どう説得してもアプローチを止めてくれず、思わず口走ったのが「付き合ってる人がいる」であり、その実際はいない彼女役に白羽の矢が立ったのが山崎だった。

「お前が彼女に会わせろって言ったんだろ!」
「やだ!信じない!」
「信じないったって…」

隣で男は困って頭をかいた。そこそこ顔もいい若い隊士で、入隊の時期も同じ頃だっただろうか。浮いた噂も聞かなかったが、どうも本命はいるらしい。但し目下のところ片思いの最中で、そこで山崎が選ばれたのだが。

(早く帰りてェ〜…もうこの女に水ぶっかけて帰したい…)

面倒くさいことに、隣の男はお前と正反対の女だなどと言い切っているのでそれも叶わなかった。丁寧におしとやかに。着込んだ着物の腹が苦しい。締めすぎたか。

「いい加減にしろよ」
「ッ、じゃあ証拠見せて!」
「証拠…?」
「ここでキスして見せて。そしたら諦めるから!」
「「!」」

山崎と男は勢いよく顔を見合わせた。彼の目を見ると何を思っているか明らかだ。怯えた目。

「バ────馬鹿言うな!こんなところで出来るかよ…」
「ほんとに付き合ってんならいーでしょ!」
「…」

どうする、の視線。どうするもなにも、そっちが主導権を握っていることになっているのだから山崎にはどうしようもない。とりあえず照れたふりなんかをしてみる。トン、と男の太腿をつつくとびくりとして見下ろされた。視線を上げさせて、そこに指先でいいよ、とだけ書く。どうせこれを通らなければ進むまい。

「どーしたの、やっぱり違うんでしょ!」
「…ッ…出来るかッ!」

男は立ち上がって山崎の腕を引いた。席から押し出し、お茶代を机に叩きつけて山崎を引いて歩き出す。

「ちょっと待ちなさいよ!」
「こいつは大切な奴なんだよ!こんなとこでこれ以上お前に構ってられるか!」
「あっ…」

そのまま店を出て行き、しばらく無言でふたりは歩き続ける。歩調は早く、着物の山崎はついて行くのがやっとだ。

「あの…大丈夫?」

ようやく足が止まる。乾いた笑い声がして、彼はゆっくり手を離した。

「悪いな、こんなのに付き合わせて」
「…ううん、でも、しちゃった方が丸く収まったんでない?」
「まぁ…そうかもしんねぇけど、嫌だろ、そーゆーの。俺だって本命いるし、…お前のバック怖ェし」
「ハハ…」
「…別に、嫌いじゃなかったんだけどな」
「…」
「本命の方も脈ねーし、もーいっかなーとか思ってたんだけどよ、あいつ 俺が真選組だって知らねェんだ。前に、嫌いって言ってたし」
「…」
「あー、つっかれた。俺昔から嘘は下手でよ、緊張したぜ。山崎も毎回大変だな」
「あ、うん…」

嘘。 そうか、これは嘘になるのかと、山崎は何故かそこで納得した。

「でも ほんと助かった。…大丈夫か?副長に…」
「あー、大丈夫。言ってはないけどばれたらばれたで仕事みたいなもんだし」
「マジサンキューな!」
「今度なんか奢ってね」
「奢る奢る。 ────しかし、上手く化けるな」
「アハハ…ま、親がアレだし」
「…あの人な」

山崎の母親を思い浮かべてふたりで苦笑する。早くに夫を亡くし、女手ひとつで山崎を育てた彼女は現在かぶき町でスナックを経営している。

「もう帰るだろ?」
「いや、一緒に帰らないほうがいいし、買い物でもしていく。どうせならこの格好の方が得するんだよね」
「そりゃいーな。じゃ、先帰るわ」
「うん、気を付けてね〜さっきの子にドスッ!とかやられないように」
「怖ェこと言うなよ。お前も気をつけろ、別嬪さん」
「褒められても複雑〜」

笑い合って別れ、山崎は市の方へ歩き出す。スーパーなどではそうは行かないが、市や商店街なら交渉次第で値引きが可能だ。

段々人通りが増えてくる。人の顔にさりげなく注目しながら歩くのは真選組に入ってからの癖で、早々に出会うわけではないが少しでも手配された者を探そうとしているのだ。 ────そして、ふっと視界に入った男。見覚えがあった。指名手配された人間ではないが要注意人物、確か最近台頭してきた平均年齢の若いグループのひとりだ。否、彼らは自らをレジスタンスと称す。彼らの敵は天人ではなく政府。とは言え大した事をしているわけではないので、所詮若い連中が格好つけているだけだろうとの見方が強い。
さっと確認すれば帯刀している。とりあえずはそれだけでもマークする理由になろう。すれ違ってしまった男と少し離れ、途中でそれを追いかける。やや手口は古いが自分が女装であるのを利用して、男物のハンカチを手に。

「あの、すみません」
「! …はい?」
「落しましたよ」

振り返った男はハンカチを一度手に取った。しかし少し考えて、それを山崎に返す。

「俺のじゃないです」
「あ、そうですか…?失礼しました」
「この状況じゃもう誰が落としたのかわかりませんね」
「そうですね…」

つーか俺のですけどね。ふと男がじっと顔を見てくることに気付く。不自然なところでもあっただろうか、見えないところに冷や汗をかいた。

「さがる?」
「え?」
「退だろ?山崎退」
「………えっ…あッ、竜太くんッ!?」
「そう!久しぶりだな、こんなところで会えるなんて思ってなかった!」
「う、うん、オ────私も」

なんてことだ。写真では全く気付かなかったというのに、本人を前にするとありありと昔が思い出される。ずっと幼い頃の友人だ。都合がいいやら悪いやら。
────山崎は幼い頃、母親の手で女の格好をさせられていた。理由は簡単で、金がなかったからである。まだその頃は母親も自分の店を持っておらず、稼ぎも少なかった。とは言えスナックで働いていたので自分の着物代や化粧品代を削るわけにもいかず、削られたのが山崎の着物。要は母の着なくなったものを仕立て直して着ていたのだ。だから近所の人間も女だと思い込んでいたし、山崎自身も男の自分が女の着物を着ているのはおかしいと分かるほどに分別はあったのでそのふりをし続けていた。女であればいつか母が店を持ったときに手伝えるなんて、のん気に考えながら。

そして何も困ったことのないまま平和に過ごしていたのを、台無しにしたのが彼だった。山崎は金銭的理由で通っていなかった寺子屋に彼は通っており、そこで要らぬ知恵をつけたのだ。恋をするということを覚え、ターゲットにされたのが山崎。 その頃には山崎も母親の仲間にちょくちょくいじられていたりしたものだから大変立派な娘に成長していた。何が彼を刺激したのかわからないが、ある日ふたりきりになった折に押し倒され、山崎も耳から得た知識が彼よりもずっとあったものだから思い切り突き飛ばして逃げ出した。そのことを母親に話すと流石に限界を感じたのか、今の土地に越してきて以来男として生活している。
あれきり彼には会っていなかった。逃げるように越したのだ。よって、道ですれ違っても再会を懐かしむような関係ではないのだが。

「いや、マジで久しぶり!あ、今 暇?ちょっと話さねぇ?」
「え、いや…」
「…あ、大丈夫だって!あれは悪かったと思ってるよ、今はもう大人になったんだぜ?」
「…それって余計に危なくない?」
「あ…い、いやッ、でも俺は紳士だから!」
「……う、うん、じゃあちょっとだけ…」

なんだかんだで彼のことが嫌いだったわけではないのだ。少し頷くと、昔と変わらない笑顔が返ってくる。じゃあ近くの店で、とふたり並んで歩き出す。

「今 何処に住んでんだ?」
「────かっ…かぶき町…」
「マジで?あ、おばさんと一緒か」
「うん…」

手近な茶店まで歩き、奢ってくれるというので有難く団子と茶を頂いた。昔話をぽつぽつと、近況もぽつぽつと。自分も彼も事実を誤魔化しながら話しているのは一緒だろう。

「今、仕事は?」
「う…うん、母さんの店手伝ってる」
「へぇ、あの人自分の店建てたんだ。じゃあ今度行こうかな」
「あっ、て…手伝いって行っても裏方だからさ!ほら、ママが子持ちって堂々としてられないし」
「あー、そっか。色々大変だな」
「…竜太君は?…刀持ってるけど、政府関係者とか?」
「あ、やー・・・まぁ、そんなもん」
「へえ、凄いね。頭よかったもんね」

カマをかけてみたがやはり駄目か。お茶を口にしながら、思案する。昔の友人だ、出来れば自分では何もしたくない。

「…な…なぁ、退」
「ん?」

呼びなれない名で呼ばれるのでくすぐったい。その名は今は母親しか呼ばない名だ。

(・・・まァ、誰かさんが夜時々使うけどね…)
「俺と付き合ってくれないか!?」
「はっ!?」
「今まで何人かと付き合ったけど長続きしねーんだ、俺はやっぱりお前がいい!」
「なッ…なな、何っ…」

赤くなっていいやら青くなっていいやらで、動揺のあまり思わず開いてきた膝を慌てて閉じる。 今、何だって!?それは土方にも言われたことのないセリフだ!

「あ、き、急にごめん…でも俺、…」
「…あ…か、考えさせてくれる…?」
「! も、勿論!えーと、あ、携帯ある?番号教えてよ」
「…メールなら」
「厳しいな、じゃあメアド」
「うん…」

なんだかややこしいことになってきた。もうこれっきり、会わないことにしようと思っていたのに。彼の携帯を借りて、自分のアドレスを登録する。

「あ…あの、私そろそろ帰らないと」
「あ、あ…送ろうか?」
「いい!」
「…」
「ち、違うの、嫌なんじゃなくて、色々寄り道するから…考えながら、帰りたいし」
「あぁ…うん、じゃあ、メールする」
「うん、ご馳走様」

────何してんの俺ェェェ!!
理性が叫ぶ声に山崎は必死で耳を塞ぎ、早足でかぶき町へ急いだ。向かうのは母親の店。もし彼が探り当てでもしたときのために、口裏を合わせてもらわなくてはならない。スナックは開店前であったが、中に入ると母親がいる。

「あら退、久しぶりやね。仕事のついで?」
「……か…母さん」
「あっ、あんたまた厄介ごと背負ってきたやろ」
「…でへへ」

本当に本当に申し訳ない。顔を見るなり察した母親に、平謝りして訳を話す。

「────あのクソガキ、しつこいなァ」
「とりあえず、俺探しにきたら誤魔化してよ」
「ハイハイ。あんたもやけど竜太君も気の毒やわ」
「アハハ…」

レジスタンスのことは伏せてある。母も顔見知りであるのだ、まだ公にも知られていないのだから隠していた方がいいだろう。

「…ごめんなァ、うちのせいでややこしいことになって」
「え、母さんは悪くないよ。ほら、そんな顔しないで」
「…一杯飲んでく?仕事中やった?」
「あ、ううん。今日はオフ」
「…あんたのそれ、趣味なん?やっぱり育て方間違うたか…」
「こ、これは…」

女装姿であるのを今思い出した。 そしてその彼女役の話を酒の肴に、母親と少し酒を交わす。ふと急に思い出した、友人の言葉。

「────俺、嘘吐きなのかなァ」
「…退」

仕事でもオフでも過去でも、嘘だらけだ。母親が優しく頭を撫でた。

「あんたは嘘吐きとちゃうよ、嘘吐きは自分を嘘吐きやなんで思わへん」
「……」

よしよし、としばらく撫でられるままにして目を閉じた。彼女は生まれは西の方で、長くこっちに住んでいてもその方言は変わらない。
西で出逢った東の男と恋をして、こっちへ移り住んだ。早くに死んだ夫を慕いながら、女手ひとつで育ててくれた。

「…そろそろ帰るね」
「ほな気ィーつけて。たまには用事もないのに遊びに来なさい」
「アハハ、じゃあまたくるね」
「今度は息子の格好で頼むわ」

最後の言葉に笑い声で返して、店を出て屯所へ向かう。どちらも家のような場所だ。もう開店準備をしなくてはならなかったはずなのに、自分を帰さなかった母親に感謝する。迷惑をかけまいとして、心配ばかりかけている。 予定よりも遅くなったので屯所へ連絡を入れようと思ったが大丈夫だろう、女の格好でも女ではないのだ。

「オイ、」
「うひゃッ」

ぐいと肩を捕まれ、山崎は思わず跳ね上がった。油断していた。

「馬鹿、変な声出すな」
「あ、副長…」

仏頂面が山崎を睨む。笑って誤魔化すと頭を叩かれた。髪に留めていた飾りがずれて髪を引っ張ったので外してしまう。流行の蝶だ。女もいないのに女の流行に詳しくなってしまっている。

「見廻りですか?」
「…誰かさんが遅ェから迎えに来てやったんだよ」
「…エヘヘ」
「エヘヘじゃねーっつの。女の格好で出て行ったなと思えばテメェは非番だしよ」
「まぁその辺には事情が」

心配してわざわざ出てきてくれたのだろうか。嬉しくなってきて顔が緩み、歩きながら服の袖を引っ張ってみる。土方は一度目を合わせ、咥えていた煙草を地面に落として踏み潰す。文句を聞く前に山崎の手をとって歩き出した。山崎がにやにやして土方の方を見ると、ぷいと顔を逸らされる。
早足について歩いて、ぎゅっと手を握り返す。さっきまで考えていたこともどうでもよくなった。この人のためになら幾つだって嘘を吐ける。身も心も偽って、あなたのために。真選組の鬼副長と称されるこの男、目付きも口も悪くて手も早い。山崎とはこっそりお付き合いしている関係ではあるが、某隊長殿によってこっそりではなくなってきている。 不意に土方が別のところで曲がった。屯所へ戻るにはもう少し向こうで曲がらなくてはならい。

「…副長?何処行くんですか?」
「ラブホ」
「うぎゃ!」
「折角ンな格好してるんだからよォ」
「嘘ォ…」

鬼副長 嘘吐かなーい。

 

 

*

 

 

床に落とされた手提げから、携帯の振動音が響いてきた。しばらく待っても止まないのでメールではなく電話なのだろう、布団から山崎が手を伸ばし、手探りで携帯を探す。

「ぁい」
『山崎ィィィーーーー!』
「ッ! き、局長!?」

山崎を引き寄せようとしていた土方の手が止まった。耳を澄まさずとも、どれほどの大声なのか、土方にも声は聞こえてくる。

『山崎ィ!トシが見廻り行ってくるっつって四時間も帰ってこないんだよ!どうしよう何かの事件に巻き込まれてたら!』
「………」
「…ふくちょー?」

話口を塞いで山崎はちらりと土方を見た。彼は視線を外して逃げる。山崎をここへ引きずり込んでから、一時間と経ってない。電波の向こうで近藤はまだなにやら叫んでいる。

「三時間も何してたんですか?」
「あ…アレだよアレ、パチンコ」
「しないくせに。あ、局長?すいません副長俺と一緒です」
『トシのやつアレで結構まぬけだからどっかに閉じ込められて…え?何て?』
「だから、今俺と一緒にいます」
『あ、なーんだ。デートか』
「…いや、まァ、何というか、その」
『あーよかったよかった。まぁ早く帰れよー、今夜は茶碗蒸しだから』
「はーい」

山崎が電話を切った瞬間、思い切り布団の中に引きずり込まれてその勢いで頭をぶつけた。

「いたーい」
「じゃねぇよ」

萎えたとか何とか呟きながら、噛み付くようなキスが降ってくる。仕切りなおしだ、段々力の抜けていく山崎の手から携帯が落ちそうになったとき、再び携帯が振動を始めた。畳と接していた部分が大きく音を立て、ふたりはびくりとして少し離れる。しばらくどきどきしながら待ってみても、どうも止まらないので山崎はまたそれに出た。

「ハイ…?」
『おー、山崎かィ?』
「沖田隊長、何か」
『今日九時からお通ちゃんが出るぜィ』
「あ、ハイ、知ってますビデオ撮ったので」
『うん』
「…それで?」
『それだけ』
「……」
『土方さんいるんだろィ?邪魔してやろうと思って』
「総悟ォォォ!」
『どーせラブホにでもしけこんでるんだろィ、場所もいつもの』

ブツッ!
土方が山崎から携帯を取り上げて電話を切った。何故かとばっちりで山崎が睨まれる。 そうかと思えば再び携帯が振動した。今度はメールのようだが、仏が三度までしか許さないのだから土方だってそれ以上耐えられるはずがない。

「……電源切る」
「え、駄目ですよッいつ仕事入るかわかんないのに!」
「うっせぇ知るか! ………おい」
「はい?」

画面を見て土方が止まった。山崎が取り返そうとしたときにボタンを押してしまったらしく、画面にはメールが開いている。

「竜太って誰だ」
「……あッ!」
「今度いつ会える?ってどういうことだコラァァ!!」
「ぎゃーーッ!ま、待ったッ、幼馴染です!今日偶然会って!」
「ただの幼馴染でハートなんか使うかッ」
「使うかもしれませんよ!それにじ、事情がッ……ぎゃー!」   

 

 

*

 

 

「何で吐かねェんだよ…」
「……」

意識が飛んだのを叩き起こされて、山崎は荒く呼吸を繰り返しながら土方を見上げた。しかめっ面で煙草を咥え、火をつける。目尻の涙を手の平で押しつぶして、山崎は困って言葉を探した。

「…副長、一生で一度のお願いでいいから、聞いてくれません?」
「…なんだよ」
「竜太って、俺の幼馴染で、俺に初めて声をかけてくれた人だったんです。あの頃は母さんの影響で関西訛りで話してて。母さんと仲の悪い近所の人が訛りのことで悪口言うのを聞いたことがあって、人と話すのが怖かったんです」
「……」
「────副長、竜太君って、レジスタンスの青木竜太です」
「!」
「お願いします副長、」

手を伸ばして腕を取る。体は重い。うまく言葉にならない。何をどう言えばいいのか。

「────そいつが」
「……」
「そいつが何もしなかったら、うちだって手を出さねェ」
「……」
「でもそいつが何かしてもしなくても、集団が問題を起こしたら知らねェ」
「…そうですよね」
「────」

煙草を灰皿に立てかけ、土方が山崎を引き寄せる。さっきまでの乱暴な行為と違う、優しいキスを落として。何のために流す涙なのか考えないようにしながら山崎の目蓋に口付け、散々抱いた体を再び抱きしめて。
何人何十人と斬ったって、真選組の仕事はなくならない。隊士の中には昔の仲間や知人を斬った者も少なくなかった。土方とて素直に異人に尻尾を振っているわけではない。生き方の選択の問題だ。従順なふりをするのは簡単、舐めてかかってくる飼い主は厳しい監視などしないから。

「…山崎」
「もし斬り込みに行くって言うなら俺も行きます、甘えたくない。でももし捜査するなら、俺は使わないで下さい」
「────山崎」
「だって聞き出せてしまう」
「……」

────段々、土方が触れるたびに体が重くなっていった。 今まで偽ってきた嘘の自分が自分を嗤う。こんな未来を思っていなかった幼い頃を思い出したせいかもしれなかった。勿論後悔しているわけではない、大切な人を守って、そしてその人はそこにいて、それで十分満足だった。
なのに。
解放されたはずの大きな嘘を再び背負い込んだせいだろうか。仕事上他人に吐くのではない、生活の上で知人を騙す嘘。

「副長、俺」

それ以外だったらなんでもしますから…

「────一生に一度と言ったな」
「…はい」
「もうどんな注文も聞かねェぞ」
「はい」
「そんなことでいいのか」
「…大切なことなんです」
「…馬鹿野郎」

────汚い。土方の内にぐるりと渦巻くもの、怒りがふつりと生まれる。何に対してかわからない。

「お前、長生きしねぇな」
「…はい」

だけどどうしても譲れない。 かたい手が汗ばんだ肌を撫でる。きっともうこの手が触れてない部分は、体の中身しかないと山崎はぼんやり重いながら、何度交わしたかわからない口付けを受けて涙を零す。しかめっ面が相変わらずの不機嫌な表情なのに、何処か苦しそうだ。自分のせいだと思いながら、重い体は何も出来ない。砂糖菓子でもないのに執拗に唇は触れてくる。
あついあつい 約束。

「────会うのか、こいつと」
「…会うでしょうね」
「捜査でもなしに」
「そうですね」
「俺ァそんなに心広くねェぞ」
「それは知ってます」
「テメ…」
「ただの友達ですよ。…あ…違った」
「アーン?」
「う、わ、そ…そうじゃなくて!お、俺、この格好で会ってたんですよ?」
「……」

手を伸ばして、脱ぎ捨てられた着物を指先で叩く。淡い桃色の生地に小花が散らしてあった。

「…ハ?」
「あー…エート、その…俺、女として会ってて…」
「……余計に安心出来ねェんだけどよォ、あぁ?」
「あれ?う、やっ…ちょっと、帰らないんですか!?」
「あー?ンなもんお前がトんでる間に一泊に変更した」
「嘘ォ… あッ…」
「まだ元気じゃねーの?退」
「……茶碗蒸し」
「殴るぞ」

この身も心もあんたに全部あげるけど、それでもれも人間だから、ちょっとぐらいのわがままはいいよね?何もない、何も起きないから…────