知らず

 

 

年をとればいろんなことがあるもんだ、言ってみると隣の山崎が吹き出した。笑いたければ笑うがいい。もう今更だ。

「沖田隊長には秘密にしといてあげますよ」
「ありがとよ」

汚れたジャケットを脱ぎ、その背中の汚れを見る。悲惨としか言いようがなく、泥と草で無惨な姿になっていた。おまけに木の枝にでも引っかけたのか、修復し難い裂けた傷がある。そりゃもうだめですねえ、山崎が暢気に笑った。

口の中が砂っぽくて唾を吐く。これが町中なら冷たい目で見られて新聞に投書でもされかねないが、この山の中では見ているのは山崎だけだ。……この山に、閉じこめられて何時間経ったのだろう。時計は嫌いで持っていなかった。とりあえずあれからふたりは確保したんで、山崎の報告を受けながら、のどの渇きを覚える。のどの奥が粘ついて不愉快だ。
ったく、手間かけさせやがって。山際に潜んでいたテロリストを攻めたらば、謀っていたかのように山の中へ逃げ出した。実際罠だったのだろう、こんな――古典的で、ちゃちで、せこい罠……

「しっかし、落とし穴とはベタですよねえ。相当深いですよコレ」
「……うるせえ……」
「間抜けだなんて言ってないじゃないですか」
「今言ったろ」
「大丈夫です、さっき沖田隊長引き上げてきたところですから」
「……ほう」
「あとふたり」
「ふたりもいんのか……」

山の中はどうも滅入って良くない。溜息をつくと山崎が愉快そうにしている。

「あんたはどうも運が悪いですね。今日は誕生日だってのに、土の中で」
「誰かさんに木に縛りつけられた誕生日よりは上等だ」
「違いねえ」

けらけら笑う山崎はジャケットを受け取り、行きましょうか、と歩き出す。整備されているわけでもなければ獣道ですらない、正に道なき道を山崎は器用に歩いていく。おいて行かれてはたまらないから草を踏みしめて着いていった。ときどき電波入るんだけどな、携帯を覗く手の甲に小さな傷がたくさんついている。きっと今日出てきた面子は皆満身創痍なのだろう、山崎でさえこれだ。

「山崎、水ねえか」
「ありません。先に治療に使いました」
「誰だ」
「伊沢が折れた竹で。まだ増えるかもしれませんから」
「俺も怪我すりゃよかったぜ」
「勘弁して下さいよ。あんたが脚でも折ってりゃ見なかったことにして行ってます」
「テメー」
「何人かまだ落ちてそうだなあ」
「……穴把握してんのか」
「幾つかは。通知してる暇ァないんで、地図や目印があるわけじゃないし」
「……くそったれ」

煙草が欲しいがそれよりも水が欲しい。さっさと捕まえて水だ。どっちが悪人だかわかんない顔になってますよ、山崎はさっきからへらへらしている。聞いても言わないから知らないが、忍者の修行をしたことがあるらしいこの男はときどき不愉快だ。逆境を逆境とせず、どんな状況で誰がうろたえても自分を見失わない。

「あ」
「何だよ」
「何にもないけどちゅーならできますよ」
「……お前さ」
「なんですか」
「いつ水飲んだ」
「20時間ぐらい前に」
「いつかお前をウォータークーラーに改造してやる」
「何すかそれ」

昔、まだ刀も手にしたことがなかったような頃に山崎に出会ったことがある。あれが山崎だと知ったのは最近のことで、ちょっとした屈辱だった。鬱蒼とした森にいるとよけいにあのときのことを思い出す。

「……ちょっと怖いっすよね」
「何が」
「落とし穴。あん中に罠仕掛けられてたら、死んでるかもしれないんですよね」
「……お前なー」
「だって俺が穴掘るならそうするもん。中途半端なんだよなあ、下手すりゃ首折って死んでるけど」
「なんつー不愉快な誕生日だ」
「……俺死ぬなら山がいいなら」
「どんなアルピニストだ」
「あんたを木に縛りつけて首かっ裂いて、その隣で死にます」
「……なんかそれ聞いたことある」
「曾根崎心中」

こいつ参ってんな、と気づいて首根っこを捕まえる。なんすかあ、と情けない声が返ってきた。

「いつから寝てない」
「んあ……んー、三日ぐらい寝てないかなあ。帰ったら寝ますよ」

舌打ちをして山崎を離す。便利な男でおまけに疲労を外に出さないからつい使ってしまうがたまにこうだ。今は人手も少ないから、気づく余裕もなかった。

「今お前を縛りつけてやりてえよ」
「殺してくれます?」
「……大丈夫かお前」

へらへらと笑った男は、どうせ喋るつもりはないのだろう。溜息をついて先へ進む。

「水が欲しい」
「俺は水になりたいです」

 


何だろう……電波ですいません……。
忍者云々は
水含むの話です

080910