水 含 む

 

迷子を見つけたことがある。演習中のことだ。遥かなる空は、鯉のぼりの似合う曇天────

 

*

 

今にも雨が降り出しそうだった。ついてねぇなぁ。山崎は思わずひとり呟く。山崎と名乗りはするが、実際あってないような名前だ。本人は記号としか認識していない。齢十五にしてよくもまぁここまで達観してしまったものだと山崎は自分に呆れていた。
────某年某所、野生動物の気配しかない森の中に山崎はいた。時折勇気ある(もしくは考えの足りない)人間が街へ向かう近道として通る以外に人間の姿はない。何故山崎がそんなところにいるかと言えば────クッソ、あの女。先輩を毒づいてみたところで今ここにいないのだから仕方ない。…尤も、いたらいたで口に出すことなど出来ないが。山崎が所属するのは政府の公式機関、但し裏に隠された機関だ。いわゆる「プロ」を養成する場所で、今はその演習中。昔ながらの忍装束に身を包み、天気の悪い夕方の空を眺める。高い木の上に立っているので、なんとなく空が近い気がした。

あーあ…溜息。水を含む空気はじっとりと重い。そうでなくともひとりでの演習は初めてなのに、これで雨でも降れば完全にやる気などなくなってしまう。しかしこの演習をクリアしなければ先へ進めないわけで、────雨が降ろうが槍が降ろうが、実行だ。出された指示は森の中で半月生活しろと言うアバウトなもので、里へ降りることは簡単だがどう頑張ってもバレてしまう仕組みになっているらしい。生活はともかく────特に食事、タンパク質には事欠かないが────暇だ。演習開始2日目にして山崎は完全に時間を持て余していた。暇つぶしに森中の薬草やキノコ類を調べてみたが泣きたいほど種類は少なく、探索はすぐに終わってしまった。わかったのは大怪我をしても病気になってもそこら辺の草で生き延びろと言う指導者のわずかな心配りだけだ。
あーあ…再び溜息。木の枝に座り込み、空を見る。と言っても空しかない。いや、雲と言うべきか。昨日は見事な夕焼けが見えたのだが今日はこの通りの曇天で嫌になる。

(…晩飯何にしよう)

昨日は鳥にした。しかし羽根ばかりでどうも手間で、かと言って大きいものでも余って困る。うさぎぐらいがいれば手っ取り早いのだが。ギシ。

(────)

みしり。気付いたときには既に遅し、立ち上がると同時に枝は折れた。とっさに懐を探るが、何もない。全て荷物の中だ。ぎょええ、思わず呟くが体は引力に従って地面に向かっていく。ばきばきっと小枝を折りながらの落下。骨折したら添え木探して怪我したらあっちに薬草があって…ぐるぐる思考を巡らせながら落ちていく。高い木に登りすぎた────ふと視線を落とした先、…人がいる。

(やべっ)

顔を上げて目を凝らす。手頃な枝を見つけて力を込めて掴んだ。肩が外れそうなショックに耐えて、枝を軋ませつつその木に掴まった。下を見れば、目を丸くして山崎を見上げている少年がひとり。

(…見つかったし…)
「忍者…?」

正式には忍者ではないのだが、詳しく説明する気はない。何はともあれ見つかってしまったのなら口をふさがなくてはならない。

「…君、何してんの?」

十歳ほどだろうか。ぽかんとして山崎を見ているが、なかなか賢そうな顔をしている。街の人間ではないだろう、言っては何だが衣服が古い。なんと言っても野生の目をしている。野犬だ。

「君じゃねぇ、土方十四郎だ」
(オヤ名字が)

土方と言うならこの奥の村の人間だろう。下調べに近隣は少し調べた。

「(ふぅん…)何してんの、土方くん」
「おっ、俺は、あいつんち、ムカつくから」
「……」

よく見れば彼は何か引きずっている。これは…鯉のぼり?

「…盗ってきたの」
「……」
「ふぅん」
「お前は何してんだよ!もしかして近くに将軍が…」
「何で」
「暗殺するんだろ?」
「しない。本読みすぎ」
「じゃあ何してんだよ」
「…しゅ…修行」
「おおっ!」

畜生、子どもって嫌いだ。世間一般で言えば自分とてまだ子どもとも大人とも言えない年だが、少なくとも本人は大人であるつもりらしい。山崎は頭を巡らす。さてどうするか。

「…なぁ、お前忍者なら何でもわかるだろ」
「は?」
「村までの道教えろよ」
「………」

迷子かよ!超めんどくせぇ!思わず顔に出たのだろう、土方が服を掴んでくる。

(────どうしよう)

 

*

 

「げえっ、近藤さん勘弁してくれよ!」
「なんでだ?いいだろう、立派じゃないか」
「却って間抜けだぜ…」

今まで沖田のせいで鬼ごっこに強制参加させられ、散々走り回っていた土方は今度こそ力尽きた。縁側にどかっと腰を下ろして空を仰ぐ。晴れ渡る青空を泳ぐのは、雄大な姿の鯉のぼり。この季節の空にはお似合いだがむさ苦しい男ばかりの屯所には似つかわしくない。ただでさえ舐められているのに、近隣の目にはどのように映っているのだろうか。

「げっ!近藤さん!」
「お、総悟。どうだ立派なもんだろう」
「やめてくだせぇよ!昨日頼んだじゃねぇか!」
「しかしなぁ、せっかくもらったんだから今日ぐらい」
「勘弁しろよ〜…」

土方と同じようなセリフでぼやきながら、沖田は頭を抱えて縁側にしゃがみ込んだ。この屯所で一番若いのは沖田だ。となれば、客観的に見るとこの鯉のぼりは沖田のものだということになる。はたはたと鰭をはためかせる鯉のぼりは、どうしてだか幼稚なイメージがあるらしく、沖田は先日から抗議していたようだが近藤は強情だった。
…土方とて、出来れば見たくないものだ。鯉のぼりにはいい思い出がない。

「お、立派ですねぇ」
「おぉ、お帰り。山崎だけだわかってくれるのは」
「ただいま帰りました」
「…お前むさ苦しい」
「髭あたる時間なかったんですよ」

無精髭の生えたあごを触りながら、どこの馬の骨とも知れない格好をした山崎は鯉のぼりを仰いだ。まだ若いはずだが酷く老成して見える。

「どうしたんですか、あんまり見られたら顔に穴が開きます」
「…そりゃ、大層潜入捜査がしにくいだろうな」
「はは、そしたら俺はお役御免ですねぇ」
「バカか、引き継ぎ見つけるまで退かせねぇよ」
「あらら、そりゃ忙しい。しかし…鯉のぼりとは、懐かしいですねぇ」
「もうガキじゃねぇんだ、アレ外せよ」
「沖田隊長が子どもじゃないなら俺はもう引退ですよ」
「…山崎、幾つ」
「二十四か五です。六かな?」
「げっ!お前そりゃ詐欺だぜィ、俺より十も上にゃ見えねえよ!」
「見えなきゃ困りますよ〜、若い頃に無茶してこの結果なんですから」
「無茶って何」
「企業秘密です」

…この男は一見世間知らずなお坊ちゃんのようにも見えるが、実際真選組の中ではかなりのやり手だ。戦い方を知っている。おまけに比較的若いこの集団の中では先輩格だ。ただその立場や性格故に舐められている感じはあり、敬意を示すような奴らはいない。しかし所詮寄せ集めの集団においてはかなり役に立っている。山崎のお陰でいさかいが少ないと言っても過言ではないだろう。別に最年長ではないが、長老などと呼ぶ奴もいるようだ。

「…あ、そうだ。副長に」
「あ?」

彼が懐から出して手渡したのは、どうも手紙らしい。かすかに甘い香が香って、沖田の軽蔑の視線を感じながら舌打ちをする。

「ダメですよ、女の人放っちゃ」
「だってよぉ」
「ふるなとは言いません、我慢なさい。こんな集団が認められてるのは彼女達のお陰でもあるんですから」
「違う違う、女達じゃなくて土方さんの顔のお陰。唯一の取り柄だもんな」
「頭すっからかんのテメーが言うな!」

ふたりのやりとりを山崎は笑って流す。…土方は、山崎がいたから真選組は立てたのだと思っている。現在監察という役職についているのを踏まえても、平隊士扱いではあるが重要なポジションだ。政府の役人との食事会などをこじつけたりしてくるのを考えると、もしかしたら強力なコネでもあるのかもしれない。

「さっきからなんです?何かついてます?」
「…変な顔が」
「失礼な」

山崎はけらけら笑う。────土方に女を教えたのは、山崎だった。

 

*

 

「へぶちっ」
「うおっびっくりした」
「うへぇ」

山崎が布団を這い出て鼻をかみにいく。その後ろ姿を見ながら、なんとなく白けた気持ちで土方は煙草をふかした。何故だか────こう収まってしまった。年上の男より若い女の方がいいのは確かなのに。
時は移って夜。結局掲げられたままの鯉のぼりは夕方から吹き始めた風にもてあそばれていて、その音が土方の部屋に入ってくる。忘れられない思い出を更に根強いものにされそうで、空気を一掃するつもりで吸っていた煙草を灰皿に捨てて何やらぐずぐずしている山崎の背中をとった。何すかぁと振り返る山崎にさっきまでの雰囲気は残っていない。どうにもやる気が出なくてただもたれ掛かる。

「今日で二十一でしたっけ?」
「おう」
「俺も年取るはずだよな〜」
「…なぁ、お前真面目に幾つ」
「知らないんですよ。多分二十五、六なんですけど、信じて貰えないんで大体副長と同じと答えてます」
「…そりゃな…」

腹に回した手を山崎がもてあそぶ。爪伸びてますねぇ、切りましょうか。静かな声は母親のようだ。男の癖に…

「あ、そうだ。鯉のぼりで思い出したんですけど」
「何?」
「あの日無事見つけてもらえました?今ここにいるってことは命はあるんでしょうけど」
「…何の話だ」
「え〜、十年ぐらい前ですかねぇ?あんたと森で会ったじゃないですか」
「………忍者…?」
「あれ、忘れてました?」
「…だ…誰が忘れるかぁぁぁ!!俺があの日どんな目に遭ったと思ってんだよ!」
「どんな目ですか?」
「見知らぬ忍者にいきなり木に縛り付けられて放置されて!おまけに木のてっぺんに鯉のぼりつけるから目立って噂になったしよ!」
「え〜、でもすぐ見つけてもらえたでしょう」
「持ち主にな!」
「…あいや〜」
「テメェのせいでどんだけ絞られたか!」
「俺のせいですかぁ?」
「たりめーだ!おまけに雨降ったんだぞあの日!」
「あ〜降ったっけ。それはそれは」
「〜〜〜!」
「イタッ!」

いらだち任せに殴りつける。判明した新事実は、丸ごと受け入れるにはでかすぎた。

「クッソ、最悪」

再び煙草を手にしてぷかぷかふかす土方を、山崎が心なしか恨めしげに見つめた。

「…せっかく女教えてやったのに、俺なんか選ぶからですよ」
「…女は金がかかんだよ」
「うわっひどっ」

もてあそばれてる。唇をとがらせて抗議してくるから、その口を煙草で塞いだ。

「────誕生日のお祝いは?」
「鯉のぼり」
「はぁっ!?」
「え、あれ俺からですよ」
「嫌がらせかよ!」

煙草を取り返すと山崎は笑った。くるくると表情がよく変わる────子どものようだ。怒んないで下さいよ、無理に引っ張られてキスをする。そのまま倒れ込まれて追い込まれた。こればかりは分が悪い。

「…ばかやろっ」
「まぁ待ってて下さいな。そのうち手柄でもプレゼントします」
「…今 何か!」
「……何にします?」
「お前が決めろよ」
「…ふぅん」

じゃあ睡眠時間をプレゼントします、出て行こうとするのを慌てて引き止めた。山崎はもったいぶって振り返り、にやりと笑う。────畜生。いつか見返してやろうと、思い続けて何年経つか…

 

*

 

(…気付いてなかったのか…)

盗んだ煙草をふかす。開け放した障子から空を見上げると見事な月だ。隣では土方が爆睡している。

(…ばぁか)

────あの野犬の目に惚れたのだ。そうでもなければこんな集団切り捨てる。本来山崎に振られた仕事は真選組を潰すこと。それを言いくるめたのが山崎だ。

(あんたよりよっぽど私欲で働いてるのよん…)

ほうと煙を吐き出して月を仰ぐ。土方に布団をかけて静かに部屋を出た。

「丸くなったわね」
「年だからね」

庭のどこからか女の声がする。笑いを含む声に、さぁどう応えよう。

「これからどうするの?」
「なぁに、骨を預けるまでのこと」
「馬鹿ね」
「俺は昔から馬鹿だよ」

夜空を泳ぐ鯉のぼりは自由だ。紐を切ればどこへでも行けそうに見える。土方が動いた気配がした。

「山崎」
「────起こしました?」

なんとでも言えばいい。俺は望んで野犬に飼われる。

 


060509