●凶器:食べるもの?


「俺、教室で食べるって、言っといて」
「…俺あいつとふたりで飯食うの?」
「あ、別に嫌ならいいけど」
「…ここで食う気しねぇから上行くけどよ」

高杉は廊下で少し待ったが、山崎が教室から出てくる様子がないので諦めた。山崎経由で手元にきた小さな弁当箱を手に、高杉はポケットの煙草を確認して離れていく。

「おっ妙」

近藤の声が鈍い音のあと途切れた。振り返りたくない。山崎は窓枠にすがったまましばらく硬直する。だから教室は怖いのだ。不幸代表の自分など、とばっちりを受けるためにいるようなものだ。

「あれ、ザッキー上行かないアルカ?」
「あ…」

通りかかった神楽の手には、戦利品の土方の弁当の一部。彼の弁当箱は重箱なので、毎日のようにその一部を奪われている。つまり一段か二段を。尤も、彼もそのつもりで持ってきているらしい。土方の母は飢えた子供は見捨てられないのだ。

「喧嘩?」
「ちょっとね」
「…じゃあ一緒に食べよー」
「うん。神楽ちゃん今日は教室?」
「銀ちゃんいないからネ」
「あー、風邪引いたんだったね。普段来てても来ないときあるからな〜」

あっちヨ、と神楽は部屋の一角へ向かう。教室の人間は殆どかたまって食べるらしい。

「あっ、そこ私の椅子アルヨ!」
「は?名前でも書いてあんのかィ?」

指定席らしいその椅子の背もたれに腰掛けて足は板へ乗せた座り方で沖田は振り返った。無性に蹴り倒したくなる座り方だ。出来るはずがないが。どうやら揉めそうで、神楽が手を出さないか心配になる。幾ら何でもカップスープを食べている人間にそれはまずい。

「そこは私の椅子って決まってるアル。さっさとどくヨロシこの浮気者」
「誰がいつ誰と浮気したってんでィ」
「お前が昨日放課後そよちゃんと」
「ば…バカッ、あれはッ」
「ザッキー、ふたりであっちで食べよー」
「わっ」

腕を取られ、たたらを踏んで神楽を追った。沖田からの刺す視線。そのうちビームでも出そうで恐ろしい。

「こっち」
「はいはい…いいの?」
「わかってるからいいアル。大人の女のたしなみヨ」
「へぇ」
「…そよちゃん私には相談しないネ」
「…」

いただきますと手を合わせ、神楽は土方の弁当を食べ始めた。山崎も買ってきたパンの袋を開ける。

「さぁ餌の時間よ」
「?」

妙の楽しそうな声に振り返る。重箱を手にした彼女の前に、近藤が笑顔で控えていた。尻尾があるなら今頃千切れているに違いない。

「さぁどうぞ」
「いただきます!」

そして近藤の前に差し出されたのは、何なのかわからなくて山崎は目をこする。あれあれおかしいな、モザイクが見える。

「今日は何ですかっ!?」
「あらまあ卵焼き以外の何に見えるの?まるでにダメなゴリラね」

卵焼きって宇宙人の持ち込んだ食べ物だっけ?あまりの恐ろしさに体を戻した山崎の背後で、大きなものが引力に身を任せた音がする。

「神楽ちゃん…」
「いつものことヨ」
「……」

それで5限は近藤がいないことが多いのか。青くなるのは山崎ばかりで、他には誰も気にしない。

「お妙ちゃん本気で近藤さん殺す気じゃ…」
「そうじゃないアルヨ。姉御が早起きしてるの知ってるアル」
「……」
「ちゃんと考えてるアルヨ」
「…逃げてるのは、俺だけなのかなぁ」
「…山崎も好きな人いるの?」
「…女の子は勘いいよねぇ」
「恋は大変ネ。私だって時々泣くヨ」
「難しいよね」
「怖いアル」
「…うん」

しびれを切らしたらしい沖田が、椅子とうまい棒を手に近付いてきた。黙って貢ぎ物は食べかけの弁当箱に入れて、文句も聞かずに傍に座る。

「何の話してたんでィ」
「凶器の話」


●ごみ捨てじゃんけん


「お前ら今日こそごみ捨ててこいよ〜」
「あれは流石にないよね…」
「じゃあ眼鏡お前行って来いヨ」
「眼鏡って呼ぶな俺は掃除当番じゃない!」
「はいはい、志村くんいじめるのはやめて先生彼に借金あるから」
「引っ込めクソ教師!」
「はは…」

誰かが笑ったが実際笑うどころではない。今週は掃除当番が最悪だった。神楽と沖田がふざけて騒ぎ、高杉はとっととトンズラして坂本は不在で真面目にやっているのはそよと桂だけだ。お陰でかなりの時間がかかり、終わった頃にはごみ捨て場はしまっている。そんなこんなでごみは溜まり、大きなポリバケツをごみ箱にしているにも関わらず既にごみが溢れかけていた。
解散となり、すかさず逃げかけた沖田を高杉が捕まえる。神楽がごみ箱からはみ出したごみを押し込んだ。そうしてごみ箱の周りに掃除当番が集まる。緊張の一瞬。

「「「────さいっしょはグー!じゃんっけんッぽん!」」」
「うっしゃ!」
バイバーイ!一抜けで神楽が素早く帰っていく。


*


「最悪だわ…」

神楽ちゃんはさっさと逃げちゃったし。運の強い友人を恨みながら、そよは溜息を吐いてごみ箱を持ち上げた。ずしりと重量感。負けた自分が悪い、しかしそれでも躊躇する。

「そよ?」
「あっ…」

誰もいなくなった教室にひょこりと顔を出したのは土方。彼は当番ではないしさっさと帰ったと思っていた。

「山崎知らねえ?」
「…見てません」

一瞬でも喜んだ自分を笑う。彼が自分を見ていないことぐらいわかっていたのに。

「そっか…お前何してんの?」
「あ、ごみ捨て」
「…は?お前ひとり?」
「じゃんけんで負けて…」
「は?バカじゃねぇの!?お前ひとりでそれ運べるわけねぇじゃん」
「だ、だって…」
「バカかお前…」

土方は舌打ちをして教室に入ってくる。怒られるのかと身をすくめるが、土方はそよを無視してごみ箱を抱えた。

「え…あっ、ひ…土方さん!いいです!」
「あっクソッ落ちた!拾えッ」
「あっ…」

ごみ箱から落ちたペットボトルを拾う間に、土方はさっさと教室を出ていってしまった。慌てて後を追いかけるが、パンの袋やペットボトルが落ちてくるのでそれを拾うのが忙しい。結局そよの手も一杯になり、そのままごみ回収場まで来てしまった。

「…ありがとうございます」
「不満そうだな」
「いえ…」
「意地張ったってしゃーねぇだろ。お前ひとりでここまで来れたと思うか?」
「…」
「早く帰れよ」
「ッ…ついでに送って下さればいいのに」

精一杯の嫌味に土方は一瞬目を丸くした。意外な表情を見れただけでいい。そよは帰ろうときびすを返す。

「────じゃあ昇降口」
「え?」
「俺荷物そこだから」
「あ…」
「5分しか待たねえからな!」
「はいっ!」

殆ど反射的にそよは教室へ急いだ。何が起きたのかわからない。


●純粋同性交遊です


「…ソーゴ?」
「もー勘弁ならねぇ。テメェわかっててやってんだろ?」
「何が」
「…」

神楽を押し倒したまま沖田は硬直する。これはカルチャーショックって奴なんでしょうか。自問する沖田を神楽は訝しげに見上げた。
彼女の部屋にふたりきり、で、ゲームだけして帰るなんていい加減我慢が出来なくなった。本当に事態の飲み込めていないらしい神楽を黙って見下ろしていると、流石に普段と違う雰囲気は読みとれたようだ。向こうも黙って緊張した様子を見せる。

「…何されるかわかってんのかィ」
「…何?」

間髪入れずにキスをした。触れ合う程度なら初めてじゃない。しかし隙をついて舌を滑り込ませ、次の瞬間には力一杯の蹴りを食らう。歯を食いしばって耐え、足と手をつなぎ止めた。

「ソーゴ!」
「じっとしてろ」
「コラーッ!」
「ッ!」

突然羽交い締めにされて沖田は一瞬宙へ浮いた。そうかと思えば洗濯機が入るような大きな段ボールに押し込められ、すぐさまふたを閉められる。

「ちょっ…誰でィ!」
「君達先生の前でいい度胸だね!学校に言いつけますよ!」
「はッ!?銀八!?」
「銀ちゃん早かったネ。会議は?」
「いびきかいて追い出されたよ。それより何なのお前らは!神楽ちゃんもそこに正座なさい!」
「え〜」
「え〜じゃないの!…沖田クン…君がどんな恐ろしいことをしようとしたのかわかってんの?」
「…」

段ボールの外にいるらしい銀八を睨む。倒れていくのは簡単だが間抜けなのでやめだ。確かに自分がしようとしていたことは、幾らこんな不真面目な教師と言えど見逃すことは出来ない事だったかもしれない。しかし、その前に、だ。

「つーか…お前なんで神楽のうちにいるわけ…」
「神楽んちじゃなくて俺んち」
「はっ?」
「神楽がうちに下宿してんの!」
「……おいクソチャイナッ!そういうことは早く言え!」
「近いうちに私のうちになるはずネ」
「家賃払ってから言いなさい。君が払わないから先生も払えないんだよ」
「どこまでクソなんだテメェ…」


*


「もー、沖田クン出来れば二度とやめて」
「つか出せよッ!」

段ボールに入れられたまま台車のようなものに載せられ、沖田は運ばれていく。タイヤから伝わる振動がかなり不愉快だ。

「沖田クン、今日のことは俺は見なかったことにするからね」
「そうしろ」
「だから頭の涼しくなったおっさんに襲われても俺は知らないよ」
「…は?」
「神楽の親父、かなり娘にベタベタだから」
「……」
「あ〜…娘に悪い虫がついたなんてバレたらこの国の最後だ…お前ぜってーバレんなよ」
「……」


●雪合戦の勝者


「そいやっ!」
「甘い!」

神楽の攻撃を避けて、桂はすかさず反撃する。しかし神楽もそれを避け、ふたりは顔を見合わせてにやりと笑った。お互いを好敵手と認めた瞬間、ふたりは後頭部に雪玉を受ける。

「悪ィ手が滑った」
「高杉!味方に当ててどうする!」
「うっせーな、張り切んなよヅラ飛ぶぞ」
「ヅラじゃない!」
「このノーコン!引っ込めヨ!」
「お前が引っ込めクソチャイナ!」
「なんだヨ不能のくせに!」
「ッ……知ってから言え!」

とんでもないことを叫んだのも気付かず、沖田は神楽に雪玉を投げつける。神楽もそれに応戦して素早く玉を投げ返した。見れば桂と高杉もやりあっている。

「何やってんだあいつら…」

チーム分けした意味ねぇな。土方が妙の指揮の下、ひたすら雪玉を作っていた手を止めて呟いた。

「ちょっと土方くん、雪玉の中に石は基本でしょ」
「あのうち明後日試合なんで手加減して下さい」

ロックオンされている我が剣道部部長は雪玉だけでも何故か瀕死に陥っている。こうなるとわかってるはずなのにあえて敵に回るのだから土方も助けようがない。 何かの気配がした。土方が振り向いた瞬間、

「あっ」
「!」

…雪玉を顔に受けて土方はゆっくり立ち上がる。顔から雪が落ちていき、その下には般若。

「────山崎」
「何でわかるんですかァァッ!」

土方が走り出すのと同時に山崎は逃げ出した。そんなのはずっと山崎を見ていたからに決まっているが、今はそれどころではない。
結局敵に向かって雪玉を投げているのは妙だけだった。自習も飽きただろうから雪合戦でもしておいで、と送り出した銀八は正解だったかどうか。

「あーあ…」

楽しそう。教室から出てきたそよはカイロを握って溜息を吐いた。沖田に巻かれたマフラーを口元まで引っ張る。風邪気味だったのを目ざとく見つけて教室にから出るなと言われたのだ。神楽に構いっきりの沖田の目は今なら自分に向かないだろう。

(…あ、上着持ってきたらよかった…)

少しだけのつもりで出てきたのだが、どうも目が離せない。幼い頃からあまり外で遊ばせて貰えなかったので雪合戦もしたことがなかった。

(…土方さん)

追いかけていた山崎が妙の影に巧妙に隠れ、土方が足下の雪を蹴る。珍しく雪が積もり、誰かは休校を期待していたがそんなには降らなかった。そよとしてはそれでよかった。少しでも会える時間を減らしたくない。

(…あれ)

沖田と神楽のとばっちりに雪玉を受けた土方はそっちへ向かいかけ、ふたり同時に臨戦体制に入られ慌てて逃げてきた。真っ直ぐ、そよの方へ歩いてくる。

(あ)
「…そよ」
「あの、ちょっとだけ…」
「持ってろ」
「え?」

上着を投げられ、頭からそれを被ってしまう。もがいてそれを降ろした頃には土方の姿はない。どうしようか迷っていると校舎から戻ってきた。

「どうしたの?」
「便所」
「……」
「それ持ってろ、走り回ったら暑い。その辺置いたら濡れるし」
「あ、うん」
「つか着てろ」
「え、」
「あっためといて」
「…うん…」

そよの返事を聞く前に土方は走り出していた。沖田の方へ向かったかと思えば神楽を盾にする。それはむしろ逆効果だろう、沖田は神楽に容赦しない。寒さを感じて、ためらいながらも上着を着る。

(…大きい…)

一瞬、山崎と目が合った気がした。


●花粉症の女


「くちっ」
「……」

可愛らしいくしゃみに土方は辺りを見回した。ひとり目に入ったが、あれではないと判断し、空耳だろうと言う結果になる。とりあえず今は掃除だ。
年に一度の大掃除、真面目な人間が少ないくせに終わらなければ帰れない。分担されたのはあまり掃除されない銀八の館、準備室。むしろ邪魔になるので班の他のメンバーは教室へ「派遣」してやった。馬鹿ほど時間かかってしまえ。恨みを込めた行動だ。

「くちゅんっ」
「……陸奥…その似合わないくしゃみお前か?」
「…訴えるぞ」
「男ならもっと豪快にいけ」
「顔面変形させてやろうか」

陸奥がほうきを構えるので対抗しようとするが、生憎土方の武器は雑巾だ。

「は…くちゅん!」
「…」
「いいからさっさと掃除しろ」
「はいはい」
「っくちゅ」
「……風邪か?」
「花粉症じゃ」
「はぁ?」
「おい終わったか?」

足でドアを開けて高杉が入ってくる。山崎もおまけのようについてきた。

「そいつがサボるんじゃ」
「おーいマジっすか」
「ざけんな」
「くちゅん」
「…大丈夫かお前」
「あ、むっちゃん大丈夫?変わろうか?」
「いや、大丈夫。教室は終わったんか?」
「終わったよ。土方さんどこまでやりました?」
「その机からこっち」
「はいはい」

ささっと雑巾を手にし、山崎は掃除を手伝い始める。高杉はさも当然と言わんばかりにどかりと椅子に座った。

「あ〜…」
「むっちゃんほんとに大丈夫?」
「掃除終われば治まる」
「つか花粉症って何?」
「花粉症って言うか、粘膜弱いんだよね。だから埃も」
「親父が花粉持って帰ってきたんじゃあ」
「お前んとこ親も飛び回ってんのか…花粉症にはしそ茶が効くらしいぞ」
「いいんじゃ、春になったら日本出る」
「うわ〜…」

女王様かよ。土方が呟くのをしっかり聞いた陸奥が睨む。

「あー、でもしそいいんじゃねぇの?お前そんなん好きじゃん」
「しそとハーブを一緒にすんな」
「むっちゃんハーブ好きだから」
「何その良家のお嬢様みたいな趣味」
「間違いが?」
「……ありません」

ほうきの柄の端が背中に押し付けられた。思わず両手を上げる。

「いいからさっさと終わらせろよ、帰るぞ」
「帰ればいいだろうが」
「お前と帰ると車じゃねぇか」
「…おんし…」
「やっぱり黒い方お前か…」

下校時間になると校門には白と黒の二台の高級車が並ぶ。白の車はそよの迎えだ。

「あーもういい!寒い!帰るぞ!」
「掃除、ッくちゅ…」
「そこのバカップルふたりでやってろ」
「誰がバカップルだ!あっ…」

陸奥を捕まえて高杉はさっと部屋を出て行く。ほうきが虚しい音を立てて床へ倒れた。

「…やりますか」
「畜生…」
「何だかんだ言って杉くんむっちゃん大事にしてるからなぁ」
「…あれがそんなタマかよ」


●賄賂


「なぁに、これぐらい、安いもんでさァ」

賄賂だと思えばねィ。そう言って笑った沖田の表情は一生忘れることはないだろう。
そよはゆっくり目を開けて、机何個分か前の背中を見た。真っ直ぐ伸びた背筋に見とれる。彼は多分、自分のこんな思いなど知らない。

「土方さん」
「…あぁ」
山崎が声をかけ、土方はしばらくして気がついた。日直の彼は黒板を消さなくてはいけない。時間があまりないのを見て土方は山崎にも黒板消しを押し付けた。
ふたりで並ぶ姿。どうしてみんな気付かないのかしら?ふたりの思いに。

中2の時だった。学校の帰りに数人の柄の悪い男に絡まれたことがある。そのときは沖田も誰もいなくて、そよの家のことを知っていた男達にさらわれかけたところを土方に助けてもらった。しかし土方とてひとつ上、中学生風情がかなうはずもなかった。────その時の大怪我が元で、そよのせいで彼は一年浪人した。土方は誰を助けたかなど覚えてないのだろう、だからそよのことも知らなかった。
いわゆる「良家のお嬢様」であるそよは、両親も出た有名な進学校へ進む予定だった。しかし校内でのそよのボディーガードの役割をするはずの男がどうしようもなく頭が悪かった。金を積まれても入れませんと拒否をされ、やむなく今の高校へ進学────と言うことに、なっている。
実際はボディーガード、つまり、沖田に拝み倒したのだ。どうしてもあの人と同じ学校に行きたい、と。土方について調べてきたのも沖田で、幼い頃より一緒に育てられた彼は今更離れられない存在だった。沖田は使用人の息子で、ボディーガードとなるべくそれなりの訓練を受けている。表向きはただのクラスメイトと言うことになっていた。 ────兄のように慕っていた。そしてあの、恐ろしい言葉を聞いたのだ。今でこそこんな関係だが、沖田はいつ切られたって不思議はない。

「そよ」
「あ…」
「帰りなせぇ。じい待ってんぜ」

軽く窓の外へ視線を流し、迎えの車を見てから沖田を見上げる。ずっと先に成長してしまった幼なじみ。

「…人間って、わがままよね」
「人間だからねィ」
「もっと、なんて」

もっと近くに、なんて。

「あの人にゃ、賄賂はきかねぇだろうし?」
「…」
「何が賄賂になるのかわかんねぇや」
「…帰るわ」

どうせふたりは一緒に帰るのだろう。ならばそれを見る前に帰りたい。

「総悟は?」
「神楽と」
「そう」
「…俺の将来のために、賄賂をまた送りやしょうか」
「え?」
「土方さーんッ!そよの車が来ねぇんだと、送ってやって下せぇ」
「えっ!だ、ダメダメッ、いいの!」
「おー、じゃあちょっと待ってろ、日誌渡してくらァ」
「あっ…」

引き止める間もなく土方は教室を出て行った。呆然とするそよの肩を叩き、沖田は耳元に声を落とす。

「車は俺が帰しときまさァ」
「もう、ほんとに何を…」
「山崎ィ!帰り卓球して帰ろうぜィ、こないだの決着つけたらァ。神楽も行くし」
「よっしゃ!今日は神楽ちゃんにリベンジ!」
「あ…」

沖田が山崎を引っ張って教室を出る。後ろ姿がそよに手を振った。ずっと頼りにしてきた背中。

「…」
「よう、待たせたな。帰るか?」
「あっ…ほ、ほんとにいいの!大丈夫!」
「いいよ別に、どうせ方向一緒だし。気にするなら肉まん奢れ、高い方」
「…ほんとにいいの?」
「むしろお前ひとりで帰るっつってもあと着けるからな、ストーカーのように」
「私そんなに世間知らずじゃないわ!」
「はいはい。帰ろうぜ」
「…」

嬉しいことは嬉しいのだ。それがそよを惑わせる。
帰りに寄ったコンビニで、「高い方の肉まん」の安価に驚いたのは、口にするとからかわれるのは目に見えていたので必死で口を閉じた。


●誰かジャンプ買ってきて


「…うおぉっ!」
「…なんスか」

目の前を通り過ぎた銀八が急に奇声を発し、山崎は重い頭を起こす。昨日はかまっ娘倶楽部の売れっ子の誕生日で、朝方まで店をあげての大騒ぎだったのだ。正直無理に飲まされた酒が抜けていない。

「今日ってジャンプ発売日じゃねぇ!?」
「今日は土曜ですよ」

そう、土曜だ。なのに補習などをするから、仕方なく学校へ来たというのに、結局いつもと変わらず「自習!」だ。

「ジャンプ今日ですぜィ、さっき誰か持ってやした」
「だよなぁ!いやー山崎見たら思い出した」
「なんで!?」
「いやほら、あれっぽくない?真中」
「嘘ォォ!」
「ぽいって、な。あ、でもそれ以上にあやちゃんかな」
「最悪!」
「つかお前ジャンプとかまだ読んでんの?」
「おいおい高杉にゃん、俺はまだまだ心は少年なんだよ。だから女子高生紹介して」
「にゃん言うな!」
「先生女子高生ならここに」
「先生はまだ死にたくないから神楽は黙ってて」

あーそうか、今日はつっこみ役の優等生組がいないんだ。いつにも増して無法地帯となっている教室にうんざりする。やっぱり寝よう。山崎は机に伏せて、羊の代わりに安眠を数えた。

「誰かジャンプ買ってきて!」
「いたぁっ!」

眠りかけたところを誰かに殴りつけられた。すぐに顔を上げれば、銀八と真っ直ぐ目が合う。

「…何スか」
「誰かジャンプ買ってきて」
「誰かって言いながら俺見てる!」
「よろしく」
「なんで!?」
「だってお前以外に任せたくねーし」
「……」

確かに。一度教室を出たが最後、もう戻って来ないだろう。

「つーわけで」
「な、なんで俺ならいいんですか」
「…先生は山崎くんのことを信じてるんだよ?」
「……」

大人の、いや〜な笑顔。はっと気づいて山崎は勢いよく立ち上がる。

「山崎退、二冊でも三冊でも、命をかけてジャンプを購入してきます!」
「いや一冊でいいからね」
「では先生軍資金を」
「はい200円」
「……あの」
「ん?ジャンプって200円じゃなかったっけ?」
「いッ……行ってきます!」

2枚の小銭を握って山崎が教室を飛び出していき、銀八は思わず笑い出した。高杉が呆れて軽い軽蔑の視線を向ける。

「十円単位ケチんなよ…」
「山崎くんかーわいーい!」
「山崎どうしたんでィ」
「ミントン同好会の行く末は俺が握ってるからね!」
「うっわサイッテー…」

大人気ない大人にだけはなりたくねぇな。高杉のぼやきに銀八は憤慨した様子で顔をしかめる。

「ヤダナ〜、銀八先生他のクラスからは人気だよ?なんでうちのクラスの奴らは俺の魅力がわかんないのかな〜」
「実態知らねえだけだろ」
「眼鏡で白衣で優しい先生vなんて少女漫画みてぇじゃん?」
「ホモ漫画の間違いだろィ」
「…君ら酷いね」

自習させる気のない担任は自習する気のない生徒を睨む。

「みんながみんな山崎くんみたいな生徒だったらな〜」
「山崎はああ見えてしたたかですぜィ」

沖田の言葉通り、帰りの遅い山崎が必死で先週のジャンプを探しているなど銀八は思い付きもしていなかった。