●触っていい?


「ドブス!」
「…いきなりやってきてなんちゅう言い草じゃ」

花を持つ手を止めて、陸奥は溜息を吐きながらそれを下ろす。なんでもない風は装うが、乱暴にドアを開け放してずかずかと入ってきた高杉が平静でないことは十分にわかっていた。ここは華道部の活動室、高杉が好んでくる場所じゃない。
畳の手前で止まっている高杉を見ると、ここから何処かへ移動する気なのだろう。かっちり着た着物の裾を意識しながら陸奥は立ち上がり、畳を出て上靴を履く。部活用ではあっても着物姿に学校指定のシューズは滑稽だ。

「どうした」
「……」

見上げると高杉の目が揺らぐ。何があったのだろうか、喧嘩をした様子はない。

「触るぞ!」
「は、」

返事を返す前に抱きしめられた。強く強く、そういえば高杉は男だったと思い出しつつ、陸奥は帯の心配をしていた。どうした、何度か呟くように聞きながら背中を撫でてやるが、高杉はじっとしたまま動かない。他の部員も何故か黙り込んでしまって、視線が集まってはいるけれど、高杉も陸奥も視線には慣れているので気に留めなかった。

「杉、どうしたんじゃ。言わんとわからん」
「……あいつ」
「…まさか」
「あいつが来た」
「まさか、ほんとに?」
「あぁ。噂通りだったぜ、俺を探しに帰ってきやがった」
「……」

思わず、思わず陸奥の手に力がこもる。

「好きなだけ触ってき」
「……うん」

この繊細な生き物を、誰がどうしてこんなに痛みつけていくのだろうか。手を伸ばして髪を撫でる。


●昨日テレビで


「あー、思い出した」
「テメー何商品食ってやがる」

手掴みでケーキを食べる神楽の姿に沖田は呆れて溜息を吐いた。ナース姿でなんともはしたないことをしてくれる。
思い出したって何を、やはり同様に間抜けな格好の銀八が聞いてきた。似合いすぎているのが滑稽だ。もっとも、自分のセーラー服姿だって笑えたものではないが。

「さっきのおっちゃん。見たことあると思ったら、昨日テレビで見たヨ」
「へぇ?」
「お前も一緒にいたダロ、夕方のニュースだヨ」
「…生憎俺ァそのときテレビにゃ集中してなかったもんでねィ」
「神楽、さっきのどんな奴?」
「えーと、政治家じゃないのカ?何とか党って言ってたきがするアル」
「なんで政治家と高杉が関係あるんでィ」
「しらねぇヨ」

ふうん、と銀八はそれきり考え込んでしまう。否、銀八ではなくパー子と呼ぶべきか。
騒ぎの元はいなくなってしまった教室の中、お客も一通り入れ替わってしまい話題は流れてしまっている。

「つーかお前食い方汚ェな」

神楽の頬についた生クリームを指先で拭い、沖田は自分の口に運ぶ。煙草を探しかけていた銀八はそれを見て硬直した。

「…なんでィ」
「いや…あれ?そんなに仲よかったっけ?」
「先生知らないんですか?」

何故かひとりまともにギャルソン姿の妙がやってきて銀八にトレイを押し付けた。ケーキとコーヒーがふたり分載っている。3番に、と桂手製の札をトレイに載せた。

「ふたりは付き合ってるんですよ。ね、神楽ちゃん」
「まーな」
「えええ!?聞いてないよッ!?それで!?それでか!?お前のパンツ最近派手なの!」
「おいおいそいつは聞き捨てならねーな、なんで銀八がこいつのパンツ知ってるんでィ」
「だってそりゃ」
「はい」
「……」

妙が沖田にもトレイを渡した。受け取ったのを確認し、あんみつとパフェとりんごジュースを載せて、こっちは5番に、と指名する。

「さっさと行く」
「「……へい」」

すごすごと引き下がる女装の男ふたりに、神楽は情けないなと声をかけた。神楽は女だからわからないのだ!ふたりは叫びたい衝動を必死で抑える。妙からは離れなくては。

「…ねえ、神楽ちゃん。そのテレビで見た政治家さんって、なんでテレビに出てたの?」
「んー、選挙がどーのって」


●没収


『華道部副部長、華道部副部長、至急職員室まで』

繋ぐ手をそっと解き、陸奥は立ち上がって裾を払った。引き留められる前に高杉の手を離して屋上を出ていく。
残された高杉は深く深く息を吐いた。立てた膝の間に顔を落とし、沈むに任せる。

「没収されたの〜」
「…」
「おんしがわがままだからじゃな」
「…俺がわがままか」

顔を上げずともそれは坂本だ。陸奥を連れていってしまう男の声。

「放送部はいいのかよ」
「陸奥は優しゅうないぞ」
「行けよ」
「おんしにゃ足りん」
「…聞く気ねぇか」
「おんしの始末ぐらいひとりでつけんかい」
「…始末、か。…そうか、俺を始末しに来たな」
「…」
「あのババァが何したかしらねぇが、あいつは俺を完全に捨てに来たわけだ」
「…高杉」

袂を探って煙草を取り出す。静かに火をつけて、慎重に煙を吐いた。坂本は眉を潜める。サングラスの下は見えない。
誰かが屋上に入ってくる。着物の裾を派手にまくり上げた担任で、朝散々笑ったので今更笑いはこみあげない。ふたつに結った付け毛が風に誘われ、唇に張り付いたのを腹立たしげに払う。

「用か」
「…没収」

高杉の手から煙草を奪い、銀八は自分の口に運ぶ。

「山崎くん見てない?」
「…しらねェ」
「そっか…さっきの男追ってから、帰ってこないんだよね」
「…」
「…坂本、俺の代わりにちょっとクラス入っててよ。俺はこの子と話あるからさ」
「…わしも女装するがか?」
「あ〜…お妙監督の意向に従って」


●ジンクス:桜の木の下


「や…山崎?」
「あ…」

振り返った山崎は涙で頬を濡らしていて、焦った土方は何を思ったか、とっさに山崎を抱き寄せた。胸に抱いてしまってからはっと気付き、しかし今更引き返せない。始めは戸惑っていたらしい山崎だが、そのうちクスクスと笑いだした。土方の動揺が読めたのだろう。
冷やかしの声から逃げてきた校庭の端、一本の桜の木の下。沢山ある桜の中で一際古いもので、お約束のようなジンクスがあった。

「…あ…な、何してんだ、こんなとこで」
「────えへへ、さっき素で女に間違われちゃって」
「…違うだろ」
「…うん。秘密」
「……」
「土方さんは?」
「お、俺は、…他のやつらがうるせぇから」
「あぁ…よくお似合いですよ」

思わず山崎も、と言いかけて口を閉じると、山崎が悟って俺も負けてませんけど、と笑ってくる。
…抱き合ったまま何をしているのだろう。幸か不幸か、山崎が女に見えているらしいのでバカなカップルに見えているのだろう。

「…山崎!」
「は、はい?」

全くの衝動だった。不意に山崎の両腕を掴み、真っ直ぐ顔を覗き込む。背中を汗が流れた。

「好きだ」
「…ひじ、」
「好きだ!」
「あ…」

山崎は戸惑った表情の後、うつむいてまた笑いだした。肩が揺れて土方はつい手を離す。

「や、山崎…」
「顔真っ赤」
「!」

山崎が笑いながら、土方の頬を撫でてくる。土方は更に恥ずかしくなり、頬に赤みが増した。

「知らないんですか?」
「は?」
「ジンクス。この桜の木の下で告白すると、断られるって」
「!」

山崎の表情は変わらない。


●泊まっていくー


「…銀八」
「ん?」
「今日、学校泊まっていい?」
「…ま、知らないお姉さんとこ行かれるよりましですけど」

着物のせいでしゃがむことももたれることも出来ない銀八は手すりに体を預けていた。煙を吐き出して視線を後ろへ向ける。高杉は座り込んだまま、あぐらで煙草をふかしていた。銀八の方は見ない。

「────あ、山崎発見」
「…」

高杉はゆっくり立ち上がり、のろのろと銀八の隣に立った。噂の桜の木の下に、山崎がひとりで立っている。かと思えば土方が現れた。声こそ聞こえないものの、土方の一連の行動をふたりは見てしまう。

「あーあ、土方のやつ…」
「え?あれ何?そうなの?」
「…お前ほんっと鈍いな」
「……そうなの…そうか…山崎…」
「…お前まさか…」
「…いやいや、俺は担任として心配でねッ」
「うさんくせぇ…」

そのうち山崎が先に離れていく。土方は木の下で何やらうずくまっていた。

「…殴られたり」
「ねぇだろ。…ザキ見てりゃわかる」
「…フーン。複雑なのね」
「…」

ふたりで煙を吐き出した。偶然タイミングが合い、高杉は嫌そうに顔をしかめる。

「…あ、やっぱり杉くんと先生だ」

屋上に山崎が上がってきた。高杉と銀八はなんとなく目を合わせる。

「…ザキ、俺今日学校泊まるわ」
「えっほんとに?…じゃあ俺も泊まっていく」
「…そうしろよ」
「うん」
「…おっさんの件は、ふたりだけでどうにかなりそう?」
「…さぁな」