憑 い た 恐 怖

 

「まぁ今日は沖田さんもいらっしゃったの?」
「近藤さんのお守でさぁ」
「あらあら」

女の笑顔に沖田は淡々と無表情で答える。
近藤御用達のスナックはいつも明るい。だけどもここも夜の国だ。女の化粧の匂いが鼻につく。

「近藤さんはじきに着きまさァ。奥の部屋頼めるかい、今日はお偉いさんが一緒なんでィ」
「了解しました。先に何か軽いものでも出しましょうか?」
「いや、俺は…」

ふと甲高い声が聞こえ、沖田は視線を巡らす。
隅の方のテーブルに、綺麗な着物の少女がふたり。どうも姉妹のようだ。ひとりはまだ少女というよりも幼女と言った体。

「あぁごめんなさい、お店の子が連れてきちゃって。いつも世話を頼んでる妹が入院したとかで」
「…じゃああの子達指名」
「あら、でも」
「お偉方と飲むのは嫌なんでさァ」

そうかと思えば沖田はその席に近付いていく。
向こうは一瞬警戒した素振りを見せたが、隊服の割に幼い表情の沖田に空気を緩めた。

「何してんだィ」
「…あのねー、折り紙!」
「ふーん…綺麗な紙で折るんだな」
「お母さんが千代紙買ってくれたの。お姉ちゃんに鶴作ってあげるんだ」

机の上には鶴がいくつか転がっている。赤を基調とした綺麗な千代紙を沖田は一枚手に取った。

「お姉ちゃんね、今入院してるの。だから早くよくなりますようにって」
「そうかい、そりゃいいや。上手だな」
「他にも作れるよ、風船とか、箱とか」
「へぇ」
「お兄ちゃんにも作ってあげるね」
「そいつはどうも。…あ、コラこいつはあんたが触っていいもんじゃないぜィ」

知らぬ間に近付いていた小さい子が刀に触れた。
刀を自分の後ろに回して代わりに幼女の手を取る。思いがけない柔らかさ。

「こら千秋、ダメよお兄ちゃんのもの勝手に触ったら」
「千秋ちゃん?」
「そう。妹よ」
「お姉ちゃんは?」
「あたしは千春」

「お、なんだなんだ、お前は早速女口説いてんのか」
「近藤さん。遅いですぜィ」
「悪いな。チャイナの子に言いつけるぞ〜」
「俺は近藤さんと違ってうまくやりまさァ」
「言うなぁ。あっち行かないか、」
「…あいつらは俺を子ども扱いするから」
「…そうか。まぁお前まで酔わされたらたまんねーからな!暇だろうがお嬢さんと仲良くやっててくれ。あっお妙さ〜ん!!今日も相変わらずお美しい!」
「…どうもいらっしゃいませ」

無愛想な女だ。あれが近藤の「お妙さん」か。
初めて見た沖田は様子をうかがう。ちらと一瞬目が合った。

「…今日は隊服でいらっしゃるのね。どこのお席です?」
「あ、いや今夜は仕事です」
「…お仕事?」
「お妙さんをお呼びしたいのはやまやまですが今夜は女性抜きで」
「…ならよそへ行けばよろしいのに」

近藤君、上の人間に呼ばれ、近藤は妙に挨拶をしてテーブルへ向かう。また目が合った。

「…近藤さんがうるさいからどんないい女かと思えばまだガキじゃねぇか」
「…あなたに言われたくないわね」
「こう見えても18ですぜィ」
「…私もよ」
「へぇ。しかし近藤さんも趣味の悪い」
「…失礼な隊士さんね」
「そうかィ。水くれるか」
「…」

軽く会釈をして妙はその場を離れた。はいどうぞ、千春が沖田に鶴を差し出す。

「こりゃ綺麗なもんができたな」
「えへへ、お兄ちゃんにあげる」
「どうも。…これ俺にも作れるかィ」
「教えてあげる」

千代紙を渡され、まずは、と少女が折り始めるのでそれに習った。半分に、それをまた半分に、そして開いて。

カランと下駄の音、人の気配と同時におしろいが香る。
一気に血の毛が引いて、沖田は立ち上がると同時に刀を掴んで鯉口を切った。
驚いた女の手からグラスが落ちて、その派手な音で沖田ははっとして緊張を緩める。

全て一瞬だった。
目を丸くして少女が沖田を見ていた。水を持ってきた女は微かに震えて沖田を見ている。お妙さん、だ。
やってしまった。沖田は刀を納める。
息苦しくなって急に呼吸が荒くなったのをどうにか抑えた。駆けつけた近藤が、妙より先に、自分の名を呼ぶ。
あんた、だからもてねぇんだ。いつまでもこんなガキのこと気にしてるから。

「…すみません」
「お妙さん怪我は?」
「あ…大丈夫、こちらこそすみません。お侍様ですもの、急に後ろに立たれたら当然の反応です」
「ッ…」

息を殺した。
…誰のせいだ。ようやく、夢も見なくなったのに。誰の。
妙がグラスの破片を集めているのを見て自分も傍にしゃがんだ。制されるのを無視して片付けを手伝う。

「近藤さんは戻って下せェ」
「…大丈夫か」
「…そんな顔しないで下せェよ。あんたは仕事中ですぜ」
「…そうだったな」

誰かが持ってきた雑巾で妙が床を拭いていた。ふと見れば少女がふたり硬直したままだ。

「…悪かったなぁお嬢ちゃん、びっくりさせて」
「…びっくりしたわ」
「ごめんな」
「大丈夫」
「続き教えてもらえるかィ」
「ええ」
「お嬢さんはいい子だな」
「千春よ、お嬢さんなんて呼ばないで」
「…ハハ、その通りだ」

決して名前で呼ばない誰かを思い出した。あいつのせいだ。
薄れない記憶を無理矢理閉じこめていたのに、いとも簡単にあいつが解放してしまった。

「お兄ちゃんの名前は?」
「…総悟」

同じく呼ばれたことのない名を教える。彼女は決して沖田の名前を呼ばない。
───それが、あの女のようで。

 

*

 

「ッ、ハ…」

胃液で口元が焼ける。自分の吐瀉物から数歩離れて沖田は地面に崩れるように座り込んだ。すえた臭いに顔をしかめる。
大きく肩で息をして夜空を見上げた。天気が悪いのか、漆黒の空に瞬くのは星ではなく船の明かりだ。視線を落とせば手の中に折 り鶴。

「大丈夫?」
「…あんたか」

帰りらしい妙がジュースの缶を差し出した。沖田はそれを受け取らない。

「あの人は一緒じゃないの」
「…先に帰ってもらいやした」
「酔ったの?」
「飲んでない。あんた化粧しない方が美人だ」
「…」
「何だィ」
「…さっき何におびえてたの?」
「…嫌な女だ」
「背中をとられて驚いたわけじゃないわよね」
「…さっさと帰れよ、この辺は物騒だぜィ」
「平気よ、真選組の方が一緒だもの」
「…」

差し出されたままの缶を受け取ると妙はにこりと微笑んだ。…あぁ、食えねぇ女だ。
ねぇ、妙が隣にしゃがみこむ。

「…あんたに教えてやる義理はねぇ」
「それもそうね。…ねえ、私と付き合わない?」
「…あんたには近藤さんがいるじゃねぇか」
「悪い人じゃないけど好きになれないのよ。あなたが相手なら無駄に決闘が起こったりしないでしょう?」
「…それは、俺に近藤さんを裏切れと言ってんのかィ」
「そんなつもりじゃ…」
「…別に、かまやしねぇが」
「ほんと?」
「近藤さんを追い払いたいだけかィ?」
「…そんな質問野暮だわ」
「…」

妙からのキスを黙って受け入れた。
今日はキスをしてばっかりだと思っておかしくなるが、クスリとも笑えそうにない。

「…厄介な女だ」
「第一印象最悪なのね私」
「近藤さんにはあんたが説明してくれよ」
「ええ」
「…送りまさァ、彼氏として?」

あとは笑ってればいい。
立ち上がって折り鶴をボトムのポケットに押し込んだ。

 

*

 

「あ」

声に反応して沖田が振り返ると、そこには神楽が立っている。相変わらずの赤い傘に異国の服。

「…どうもお嬢さん」

市中見回りをどこでサボろうが土方には見つからないのに、何故か彼女にはよく出会う。
もうあの日から数日経ってはいたが、もうずっと会っていなかった心地がした。

「久しぶり」
「…私ややが出来たアル」
「やや?」
「赤ちゃん」
「…」
「あんたの子ネ」
「…ほんとですかィ」
「嘘」
「そうかい、そりゃよかった」
「…もしほんとだったらどうするアル」

見慣れた隊服の背中が揺れる。笑ったような素振りだった。

「子ども?…俺が、あんたの腹かっ割いてでも流産させまさァ」
「…酷い男アル

「今更だろィ?…俺の子なんざ、ロクな子じゃねぇ」
「…」
「…欲しかったのかィ?」
「いらねーヨ」

カラン、下駄の音に神楽が振り返れば妙がいた。沖田を見つけ、パッと表情を明るくする。

「やっと見つけた!」
「遅いですぜィ」
「河原って言われてもどこか分かんないわよ!…あら神楽ちゃん。知り合い?」
「ちょっとした。行きやしょう」

沖田は立ち上がってボトムを払い、妙の隣に立って歩き出す。残った神楽はくるんと傘を回した。

「…定春探してる途中だったヨ」

神楽はふたりとは反対方向へ歩きだした。何故か定春を探す気も失せて、万屋へ足を進める。
沖田が知らない人に見えた。振り返ってみても変わらずふたりは連れ添って歩いている。歩幅を合わせ何かを話しながら。
雲行きが怪しくなっていた。神楽は空を見上げる。厚い雲。
雨が降りそうだった。

 

*

 

「やだもう、急に降ってくるなんて」

うちが近くてよかったわ、妙は門扉を開けて沖田を中へ導く。
活気こそないがそれなりに立派な道場に見えた。近藤がいつだったかつらつらとお妙さんの気の毒な境遇を熱弁してくれたような気がするがよく覚えていない。

「隊服濡れちゃったわね、乾かさないと」
「俺はいいからあんたが先に体温めなせェ」
「じゃあ着替えだけでも出すわ」
「人の服を着る気にはならないんでさァ」
「…そう?じゃあこれ、」
「どうも」

タオルだけ受け取り妙の背中を見送る。
しんと静かな広い家だ。広さで言えば屯所の方が広いのは確かだが、静けさが全く違う。
髪を伝って背中に落ちた雨を嫌って髪を拭いた。歩き出す。雨音に混じり床板のきしむ音。

「…」

ぎしり、力を込めて踏んでみる。
少し考え、見当をつけて先へ進む。雨音を聞きながら、道場へ。閑散とした道場、今は門下生はいないと聞く。このご時世なら当然だろう。
湿った木の匂い。そこへ入り込み中央に座り込んだ。静かに目を閉じて、まだ真選組が出来る前、近藤の実家の道場を思い出す。
今ではもう機会もないが、本気で近藤や土方と剣を交えたこともあった。たやすく倒されていたのはもう過去のこと、今はもう負けるつもりはない。
強くなった。誰にも負かされたりはしない。あんな、

───あんな女一人今なら、簡単に殺せるのに。
何が怖い?

キィと床板がきしんで目を開ける。

「どうしていつも探さなくちゃならないのかしら」
「…悪かった、勝手に入って」
「気にしないわ。…でも読めない人ね、もっと飄々とした人だと思ったら案外物静かなんだもの」

薄手の浴衣姿の妙は笑って隣に腰を降ろした。懐かしむような視線を道場に向ける。

「…あんたと話してると緊張するんでさァ」
「そうなの?」
「何を話していいのか」
「何でもいいからあなたの話が聞きたい」
「…」

近藤の好きな女。じっと隣を見た。

「…こっちが緊張するわ」
「すまねぇ」

ガタガタて木戸が揺れた。風が強くなって来たらしい。

「…綺麗な顔してるわね」
「…母親似でさァ、お陰でなめられていけねぇ」
「どうして真選組に入ったの?」
「…あれを作ったのは近藤さんと土方さんで、俺は近藤さんに返しても返し切れねぇ恩がある」
「…そうなの?」
「土方さんはさっさと消えてほしいですがねぇ」
「そんなこと言って」
「…」

ふっと沖田は目を閉じる。雨の音を聞く。
それを見た妙は呆れたように笑い、トンと肩に寄りかかった。一瞬沖田が身じろぐ。

「…何考えてるのか分かんないわ」
「早々心読まれてちゃ俺ァもう死んでまさァ」
「…」

そっと妙の手が膝に触れた。ふわんと香るのは湯か着物の匂いだろうか、それとも女はこういうものなのか。

「…妙さん」
「はい?」
「俺ァやっぱり出来ねぇ」
「…」
「あんたを殺すつもりだった」
「え…」
「嫌いな女似てる」
「…殺したいほど嫌いな人がいたの、」
「…さぁ、でも殺されかかった」
「…」
「でも近藤さんは悲しんじゃいけねぇ」
「…私はどうでもいいのね」
「あぁ」
「そう」

道場は落ち着くと思った。ここには楽しかった記憶ばかりで。

「…きっと殺したかったんじゃないわ」
「…」
「どうしようもなかったのよ」

好きだったんだわ。

目を閉じたままの沖田の唇に何か触れて、目を開けると妙の姿が間近にあった。

「どうせならきっぱり振って」
「…」

抱きしめられた。とっさのことに反応が出来ない。

「嫌いな女は抱けない?」
「…初心者でよけりゃ相手しやすが」
「…初心者?」
「───女は誰だってあいつに似てんでさァ」

俺を殺そうとした母親に。

 

 

05.


な…なんか無駄に長い…。

040904