凍 て 雲

 

はあ、と深く息を吐くと視界が曇り、眼鏡をかけていたことを思い出す。曇りが晴れるのを待って両手を見ると、しっかりと血に濡れた手袋に包まれた人殺しの手があった。さっさとこいつを片付けなければ。廃工場であるからそう簡単に見つかるとは思えないが、できるだけ長く時間を稼ぎたい。処理を済ませて手袋や眼鏡もその場で燃やす。リバーシブルのダウンジャケットを裏返し、人気のない道を選んで人通りに出た。
賑わう町はクリスマスソングで溢れている。見上げた先の空に浮かぶ雲に見張られているような気分になって、早足にホテルへ戻った。荷物をまとめてチェックアウトし、公衆トイレで着替えて変装し直す。念のために持ってきた女物が役に立つことにうんざりしながら、さっさと化粧を済ませて再び町へ出た。思わず見上げた空にはまだ雲があり、肌の上を白い息が撫でていく。寒い。任務が成功したって重い足だ、失敗した今日、スキップで帰れるはずもないが、山崎には帰る以外の選択肢がなかった。帰る場所はひとつしかない。目立つ荷物はコインロッカーに預け、薄着の腕を抱きながら屯所へ向かった。

「あ、山崎ィ」
「あ、沖田隊長。――浮かれてますね」
「いや、寒くてねィ」

帰り道で出会った上司は赤くて白いふちのある、いわゆるサンタ帽を被っていた。そのくせきっちりと真選組の隊服を着込んでいるのだからいささか滑稽だ。寒そうだな、とマフラーを貸してくれる沖田の優しさは少し怖いが、背に腹は変えられず、寒さに負けてありがたく受け取った。荷物を少なくしたかったのでどうしても薄い服ばかりになってしまうのだ。

「お前、ダウンは?」
「血がついて」
「あーあ。しくったんかい」
「面目ない」
「珍しいねィ、あんたが」
「さあ、どうでしょう」
「……うん、血の匂いすらァ」
「マジすか。俺寒くて鼻利かなくて」
「髪にでもついてんじゃねーの」
「そうかも。あー、風呂沸いてっかなー」

途中で沖田と別れて自分は裏口から入る。まずは報告を、と頭に浮かぶが、自分の姿を見てためらった。――自業自得だ。覚悟をきめて副長室へ足を向ける。冷えた手足に追い討ちをかける縁側を通って向かった土方の部屋はなぜだか開け放してあった。

「副長、山崎退戻りました」
「早ぇな。しくじったか」
「はい」
「入って閉めろ」
「失礼します」「

煙草の煙と灯油の匂いが充満した部屋の中で、土方はゆっくり文机から顔を上げた。山崎の姿を見ても胡乱な目を向けるだけで表情を変えない。山崎の報告を煙草を呑みながら聞き、話が終わると黙って手招きした。その通りにそばへ寄ると抱き寄せられる。汗臭い。きっと風呂に入っていないのだろう、そんな気がする。

「血ィくせえ」
「やっぱ臭いますか」
「ぷんぷんする。湯に漬かってこい」
「そうします」
「お前はちょうどいいときに帰ってきた。これをやろう、褒美だ」
「え?ちょ、何すかこれ」
「仕事だとよ」
「……俺にやれと?」
「そう。適任だろ」

何で真選組にこんな仕事が。書類を見つめてぽかんとする山崎より先に立ち上がった土方が、両脇を抱えて山崎を立たせた。さっさとその臭いと気色悪い化粧落としてきやがれ、くわえ煙草から畳に灰が落ちるのを気にしないで土方は言う。

「衣装は向こうにあるってよ」
「……ハァ……」

 

*

 

「メリークリスマス!」

扉を開けて中に入ると、子どもたちの歓声に迎えられて一瞬怯む。落ち着け山崎退、相手は子ども、そして俺は、サンタクロースだ。付け髭に隠れた唇をかんでプレゼントの詰まった重い袋を担ぎ直す。――屯所近くの保育所のクリスマスパーティーでのサンタ役、なんて、一体何の手違いで真選組に仕事が回されたのだろう。政府の嫌がらせだとしか思えない。
保育士たちの案内でひとりずつにプレゼントを渡していく。ゆったりとしたサンタ服は動きにくい上に熱かったが、袖をまくってしまうと細い腕がむき出して不気味だろうと思う。お菓子の詰まったおもちゃの長靴を渡して泣かれたり笑われたり、時に蹴られたり抱きしめられたりしながらも全員に渡し切り、再び甲高い歓声に見送られて教室を出た。熱さに耐え切れず更衣室でさっさと脱いでしまって職員室に挨拶に行く。

「ご苦労様です、ありがとう」
「いえ」

所長は初老の婦人だった。すいませんねえ、男手がなくて、と申し訳なさそうに謝られたということは、自分が今疲労を隠せていないということだ。苦笑して所長にはとんでもない、と返す。

「お茶でもして行かれては?羊かんはお好きかしら」
「あ、では遠慮なく」
「どうぞ、かけて下さい」

窓辺の来客用のソファーを勧められて、素直に腰を下ろした。大きく取った窓には画用紙で作ったうさぎが貼ってある。その向こうの空に浮かぶ雲が目について目を細めた。

「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ごめんなさいね、お忙しいのに」
「いえいえ。お気になさらず、税金泥棒ですから」
「まあ、そんな」

上品に笑う婦人だ。温かいお茶を飲んで、ようやく一息ついた気分になる。さっきまでサンタクロースだった自分の両手を見た。

「子どもたちの相手は疲れたでしょう」
「いやぁ、先生方は毎日大変ですね」
「……今日真選組の方にお願いしたのは、知っててほしかったからです。あの子たちが、あなた方が守っているものですよ」
「……」

この両手は、サンタクロースになる前は人殺しだった。刀を握り、首を絞めた。死体を片付けた手でプレゼントを渡したことを知っているのは山崎だけだ。

「子どもはお嫌い?」
「正直苦手です。あなたの考えは素敵ですが、俺は、あの中に将来人殺しになるやつはいないか、不安になる」
「……ぶっそうな世の中になってしまったわね」
「昔は平和でしたか?」
「――どうだったかしら。寒いわね、あなたは江戸生まれ?」
「はい」
「そう。――江戸へ出て、息が白く見えることに驚いたわ。都会には私が望んだ夢があると思っていたけれど、そんなものはちっとも見つからなかった。今が幸せではない、ということではないけれど」
「――都会にいるのは鬼です」
「そうねえ」

グランドに飛び出した子どもたちの賑やかな笑い声が響いてくる。雲はまだ山崎を見張っていた。

 

*

 

「帰りました……」

すぐにでも睡眠を求めていた体に鞭打って、屯所まで無理やり帰り着く。クリスマスを名目にどんちゃん騒ぎをしている広間からは離れてさっさと自室へ向かった。今日はひどく疲れている。こんなときは寝てしまうのが一番いい。厠帰りか、正面からやってきたほろ酔いの近藤と出会って流石に足を止めた。

「あー、山崎おかえり。悪いなあ、忙しいのに」
「いえ……」
「俺が行こうと思ってたんだけどなァ、トシに止められてよ」
「はは、局長がやったんじゃ締りがつきませんよ」
「子どもはかわいかったか?」
「……そうですね、本気で殴ってやりたくなったやつも何人かいましたけど」
「……そうか。――今日はもう休むか?」
「ハイ」
「ゆっくり休め。まだ年末は忙しいからな」
「そうします」

笑ったときに漏れた息の白さに改めて驚いた。近藤がはあ、と息を吐いて空を見る。

「――田舎じゃ息が白く見えるなんてこたァなかたんだが」
「そうなんですか」
「ああ。空気が汚いと、白く見えるんだとよ」
「へえ……」

近藤に倣って空へ首を向けた。月明かりと地上の明かりで雲が浮き上がって見える。ずっと昔、雲は冬の息でできているのだと思っていた。寒さが凍りつかせた息が空に溜まるのだ。

「風邪、引かないように」
「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみ」

行ってしまった近藤と別れ、今度こそ部屋に入る。かじかんで先の赤くなった両手を見下ろした。明日は何になるのだろう。

 

寒そうに書きたかったんだけど、できたかな。

081224