狐 火

 

「げ…山火事?」

遠くの山に炎らしきものがちらついていた。あそこまで遠いと管轄外だが、被害が大きくなるとこちらからも人を出さなくてはならなくなるだろう。
とりあえず土方には報告しておくべきか。歩き出した山崎の襟元を、誰かが引いて引き止める。

「あれは狐火だ」
「…あれ、お久しぶり」

気配は全くなかった。背後に立っていたのは天狗。ふとしたことから知り合った人外のもので、赤い顔に長い鼻、イメージ通りの天狗だ。

「狐火って?」
「鬼火の類だ。あまり見ない方がいい」
「とりあえず火事じゃないんだ」
「…ったく、浮かれておるな」

ちらりと天狗の様子を伺った。
初めて出会ったときは「敵」だった。彼が守ってきた化け狐の末裔が、我らが大将、殿様に嫁ぐことになったのを阻止しようと邪魔をしてきたのだ。結局彼女は嫁ぎ、成り行きであやかしとのコネが出来た。…あのときのことは山崎もあまり思い出したくない。

「────『おとーさん』寂しいんでしょ、お子が生まれたら姫様山へ来づらくなるから」
「馬鹿な!嘆いておるだけだ」
「男かな〜女かな〜」
「女だ」
「……」
「女しか生まれたことがない」
「…ふぅん。じゃあ揉めるな、跡継ぎ。側室捜しとくか」
「だから反対したんだ」
「ふぅん…。紅葉は」
「名前で呼ぶな!」
「なんでぇ?可愛いじゃん」
「その名をつけたのは姫だ。本当の名は他にある」
「どんな?」
「…姫に名を頂いたときに捨てた」
「ははっ。寂しいねぇ。鬼火を肴に、一緒にどう?一杯」

酒を飲む動作を向ける。嫌な顔はしない。彼が酒好きなのは知っている。

「私はかまわんが、お前はあまり見てると化かされるぞ」
「早く言ってよ!」



*



「あっテメ、見掛けねぇと思ったらこんなとこで何してやがる!」
「あ、ふくちょーもどうすか、一杯」
「…なんだ紅葉、来てたのか」
「だから名前で呼ぶな!」

既に出来上がって無礼講状態の天狗は土方に酒瓶を投げる。咄嗟にそれを受け止めて、土方は回りこんで天狗の隣に座った。
こうして縁側での宴会も、天狗がいるときは土方も何も言わない。この天狗は絶対に中へは入ってこない。

「どうだ、姫は」
「ふん、身重だというのにのん気なものよ。先日も平気で山まで来おった」
「あーあ、世継ぎになるかもしれんのに。大雑把な女」

土方が笑いながら酒を注ぐ。何か思い出すことがあったのか、笑いながらそれを口へ運んだ。
――――嫁入りを見守ったあの女は、土方の思い人だった。山崎は思い出して唇を噛む。あれからまた土方の女遊びは始まっり、少しばかり女の趣味が変わっただけで以前と同じ生活だ。
今日のようにこうして、時々人外のものが混じるけれど。だけどもう、あんなことはないだろう。自分が女の代わりになるようなことは。黙っていたってもてる男だ。

「…ひ、ふ、み…俺の子かもしれねぇぞ」
「なッ…貴様!」
「じょーっだん!指一本触れてねぇよ!ったく…今思えば、あの女は縁談の話を知ってたんだろうよ」

あ、やべぇ飲む気だな。大して強くもないくせに、土方はぐいぐい杯を空けていく。間に天狗を挟んでいるので容易には止められそうにない。 

「…子どもか。また揉めるな」
「…約束を覚えておろうな」
「たりめーだそこまでボケちゃいねぇ。…女ひとり、泣かさねェより泣かす方が簡単だけどよ」
「うわ、副長鬼〜。人じゃねぇ」
「子宮で物考えてる女のがよっぽど人じゃねぇよ」
「…また懲りずに縁のない女に手ェ出したんですか」
「流石に見事だったぜェ。愛人ならいいが妻にはなってやらねぇときた」
「やっぱあんたがろくな男じゃねぇってことですよ」

そのろくでもない男に俺は惚れている。ちらつく狐火を見て思う。
洒落にならない。もう何年、思いを抱えているのか。

(俺でも嫁を欲しいと思うようなことがあるのかな…)

「いつの時代でも女は強いな」
「お、何、紅葉も女にゃ負けるか」
「呼ぶなと言うに」

あの女を見たのを、山崎は嫁入りのときの他には一度だけだった。夏のように陽気な春の日、土方とふたりで談笑していた姿。狐色の髪の色。化け狐の血を継いでいるとはいえ妖術が使えるわけでもなく、異質なのはその髪の色だけだった。
そう、あの火のような。美しい赤さだった。

「山崎ィ、テメェも早く女見つけろ。男は女がなきゃいけねぇ」
「…はぁ、そんなもんですか」

俺は
――――俺は、あんたさえいればいいよ。

 

趣味。天狗は狐の嫁入りと言う本で出しました。まだ引っ張る。
冬の季語らしいのですが無理だった。
余力があればちゃんと書こう…中途半端だ…

060317