野 分

 

秋のせいなのか嫌な予感がした。空気が変だ。冬へと変わりつつある風が体を舐めていく。背筋を悪寒が走った。
視線を感じて見廻り中に山崎は足を止める。一緒に歩いていた隊士が振り返った。先ほどから寒い寒いと言い続けていた彼は早く帰りたいのだろう。ごめんと笑って先に帰るように促す。見廻りは何もない場合一緒に戻るのが原則なので彼はためらったが、急用が出来たから、と付け足すと返事をして頷いた。監察と言う仕事柄、たまにこういうことはあるので納得したんだろう。

「あとでちゃんと報告に行くって副長に伝えて下さい」
「はい」
「よろしく」

彼が歩き出し、距離が開いたのを見てから脇道へ入った。視線の主、さっき山崎を手招きした情報屋が立っている。学はないから使えないそろばん片手に笑った。

「何」
「いきなり喧嘩腰かよ」
「ガセ掴ませといてよく言うよ」
「いやいや、あれは俺も騙されたんだって。まぁ聞けよ、今回は金はとらねぇ。ま、お願いみたいなもんだ」
「何」
「高杉が来てる」
「!?」
「あいつがいると商売やりにくい。わかってんだろ、こっちだってスネに擦り傷ぐらいはあるからよ」
「まさか…」
「ほんとだ。なんなら他の奴にも聞けばいい」
「他には誰に」
「少なくとも俺はお前に言うのが初めて。でもあんた以外にそう言える相手もいないしなァ」
「俺以外には言うな。他のにも回して」
「はいな。そっちはもらうけど」
「…ちゃっかりしてんなァ〜…」

指で輪を作ってこっちへむける情報屋に思わず苦笑する。サービスばかりしてられない仕事だ。

「以前ちゃちなグループが住処にしてた場所があるだろ。あっこに入るのを何度か見た」
「…」
「頼むぜ、バシッと」
「簡単に言うなァ…」

高杉。山崎は思案する。夏の祭りでひと騒ぎ起こしたのだからしばらくは現れないと思っていた。自分があおっただろうか。思い返して若干後悔する。恩があったのは昔のこと、よくある話のようにそればかりを立てて純粋に高杉につくことなど出来ない。それどころかあの頃は死んだ方がましだったのではないかと何度思ったことか。
冷たい風が吹いた。あのときもこんな風が高杉と自分をすっぱりと分けてしまったのだ。




*




鬼兵隊、と後になってから名前を知った。あの頃は字など読めなかったから、出来ることと言えば洗濯と料理の下準備ぐらいだった。高杉に拾われてからかろうじて衣食住は揃っていたから、そればかりは礼を言ってもいい。へまをすれば殴られたし成果を上げても誉められなかったが、大人達と対等に扱ってもらえてたことは嬉しかった。

(…あのときは、あの人が世界の真ん中だったんだよなァ)

居心地はよかった。死ぬよりはまし、という状況だったけれど。 だからここまできてためらっている。高杉がそこにいるはずだ。以前小さなテログループが拠点にしていたあばら屋で、確かに目立ちにくい。このときもさっきの情報屋から情報入れたな、何となくそんなことを思い出した。
武器を手に確認する。その手が震え、情けなさに鼻で笑った。確かに彼が世界の真ん中であったけれど、それはけしていい意味ではない。彼は君臨する王だった。絶対君主の畏怖の対象。それを斬るのをためらうか?あの頃の無力な自分じゃない。────そもそも俺はあいつを斬れるのだろうか。世を脅かすあの男が、頭がいいばかりではないとこの身で知っている。
あばら屋で物音がして顔を上げた。横柄な態度で出てきたのは当の高杉。一瞬身構えて、緊張を殺して高杉を見遣る。彼は相変わらずのにやけた表情で山崎を見た。腰にはしっかり得物がかかっている。片目を覆う包帯。着ているものは漆黒の着流しだ。

「喪服ですか」
「まぁな」
「あんたが着るのは白い方じゃないですかね」
「さぁ?お前はどっちにしろそれだろ」
「そーですねぇ」

この身を守る盾。狗の証。一張羅だ。
ゆるゆるとキセルをふかす姿に懐かしさまで感じた。そろそろヤバい、と思う。あまりのんびりしていると、昔の思いは段々思慕へ変わりそうだ。

「────ひとりか」
「こちらのセリフですけど?」
「ひとりだよ。あれ以来な」
「…」

あの日。こんな冷たい風の吹く日に、この男は唐突に解散を呟いた。気まぐれに買い出しについてきて、途中の草原で足を止めて。強い風で着物の裾がまくれたのを奇妙にはっきり覚えている。強い風が、山崎と高杉の間を裂いた。
────もう俺はお前の面倒見ねぇ。飽きた。他のも放り出すから、テメェもどっか行きやがれ。

(…あぁ、ヤんなるなぁ)

嫌になるほど鮮明に覚えている。

「────昔話しにきたんじゃねぇだろ?」
「…そうでした」

覚えてる。あんたのその構えた癖も。




*




「山崎?」
「帰りました〜」

へらへら笑って手を振ると嫌な顔をされた。拗ねて見せて土方に近付く。血の匂いでもしたか、土方が表情をかたくした。

「…風が強いでしょう。飛んできて怪我したんです」
「…何が、飛んできた」
「んー…厄?」
「…」
「医務室で消毒液借りてきてもらえませんか。俺がいくとうるさいんです」
「…俺の部屋にいろ」
「はい」

疑いながら離れていく土方に苦笑して、彼の部屋へ向かいながら外を見た。風はいつの間にかやんでいる。

(冬がくる)

最期は見届けなかった。

 

「誘蛾灯」を受けたものでした。
じゃんぷ読んでないので高杉がどーなのかは知らん。

051201