入 道 雲

 

…雲行きが怪しい。
空を仰いで土方は溜息を吐く。ずっと向こうの空に見える積乱雲。

────してやられた。自分より一回りも幼い娘にまかれてしまった。まさかと思い油断していた自分がいるのは事実だ。
しかし────いくら溜息を吐いたって彼女は戻らない。土方は気合いを入れて立ち上がる。

…あれはただの子どもじゃない。いわゆるお姫様だ。
以前城を抜け出したことがあってから、彼女は稀に護衛付きで外出を許されることになった。その護衛役は真選組に任されている。
町を知り得ていると言うのが理由らしいが、良くも悪くも姫に悪い虫がつかぬようと言うことだろう。いずれにせよ土方には関係ない、その理由については。

(…そよ姫がひとりで行ける場所)

頭に浮かんだのは万事屋だが、彼女は場所は知らないはずだ。そもそもそれが姫の逃げ出した理由だろう、そうでなければ普段大袈裟過ぎるほど自分らを気遣うそよが土方から離れるなど。
彼女がいなくなれば如何なる理由があろうとも責任は土方、真選組にかかってくるのを、賢い彼女は十分承知しているのだから。
────万事屋には彼女の友人がいる。しかしその友人の性質上、あまり会わせたくないのが実状だ。だから土方はそよの要望であれば博打にだって連れていくが、万事屋にだけは近付かせていない。さっきまでそのことで揉めていたのだから、彼女は万事屋を探しているだろう。
ならば少なくともかぶき町だ。あぁ…更にまずい。土方は足を早めてかぶき町へ急ぐ。

積乱雲は質量を増す。そのうち降り出すだろう。
…そよの気持ちは分からなくもない。しかし土方にとって仕事は仕事だ。ことを大きくは出来ないが一大事、山崎にだけ連絡する。
────最近彼女はメディアに顔が出た。そうでなければ土方をこれほど焦らせまい。
ともかく宛がないので万事屋へ向かう。どうせ彼に会うのはわかっているのだから今更だ。呼び出しもせず勝手に万事屋へ踏み込めば、案の定嫌いな男はデスクでジャンプを読んでいる。

「…ちょっとちょっと、別に麻薬とか隠してないから勝手に入ってこないでくれる?」
「チャイナは」
「神楽?さぁ、…土方くんロリコン?」
「囲ってるテメーに言われたくねぇな、役に立たない綿飴頭」
「何それ食べちゃいたいって意味?お巡りさ〜ん」
「切り刻むぞ!」

ここではなかった。土方は溜息を吐きながらそこを出ていく。
外へ出ると雲がいっそう厚くなっていた。舌打ちをして適当に歩き出す。携帯が振動し、出てみると山崎からだ。

「おぅ…そこなら俺の方が近い。お前は他を頼む」

気持ちのいい返事が帰ってくる。いまいち質の読めない男だが悪い男ではない。
目撃情報のあった場所へ急ぐ。引っかかるのは、男と一緒だったと言うこと。恐れていた最悪の展開、でない可能性は薄い。
ふと視界に入った男が逃げ出した。ただ走るのと逃げるのとの見分けには慣れた。すかさず男の後を追って裏路地へ入る。汚い道を男は慣れた様子で走るが土方とて同じことだ。

「止まれ!」
「ひっ…」

つまずいた男を捕まえて、そのまま壁に押しつける。その振動のせいで側の窓から女が顔を出した。

「ちょっと!ボロ家なのに壊れたらどうしてくれ…あらん、土方さん」
「…よぉ、お前か」
「うふっ、なんか面白そうなこと?」
「ンな事態じゃねぇ。おい、知ってること話せ」
「っ…お、俺が何をッ…」
「人の顔見て逃げといてそりゃねぇな。こちとら首かかってんだぜェ、テメェの首斬ってやろうか」
「土方さん、女の子をお探しならあっち」
「!」
「ちょっと前かなァ?女の子が土方さんの名前呼びながら逃げてたわ。何?あの子土方さんの?」
「馬鹿か。────あっちだな、お前こいつ見ててくれ」
「えーっ、悪い人なんでしょ?こわぁい」
「雑魚だ」
「うふ、今度お店に来てよねっ」

窓から身を乗り出した女は土方の頬に唇を押しつけ、土方の手から男を捕まえた。震えていた男は一瞬安堵を見せたが、女に外見からは考えられない力で男を窓の中に引きずり込まれて悲鳴を上げる。
土方は既に走り出していた。その顔に滴が降ってくる。降り出した。
舌打ちをして足を早め、分かれ道へ来て側の窓を叩いた。顔を出したのは別の女で、土方を見て黙って道を指す。

「雑魚だと思うけど気を付けて」

ちゅ、と二度目の唇を受けて土方はまた走る。
耳に微かに声を捕らえた。雨足は強くなる。

「姫!」
「!────土方様ッ!」

近い。
男の怒声に焦り、土方は電柱を使って塀へ上がる。その向こうのあばら屋、雨で煙る向こうにやっと見つけた。
そよを捕まえていた男達が焦り、わたわたと刀を手にしようとしている間に土方は庭へ降りて踏み込む。そのタイミングを計ったように一気に雨が強くなった。
そよの手を掴む男を蹴り飛ばし、彼女を取り返して自分を盾に後ろへ回す。

「…土方様、私…」
「話はあとに」

土方はジャケットを脱いでそよに頭からかぶせる。外へ、と静かにそよを押し、自分は男達から目を離さずに刀を抜く。
男は4人、それぞれ刀を構えているが土方を前に腰が引けている。
雨音が強い。あまり長引くとそよが濡れ鼠になってしまう。

「どうした…覚悟は出来てるだろ」
「ッ…相手はひとりだ!土方をやったとなれば名も上がる!」
「出来るもんならやってみろ」




*




プッと口の中の血を吐き出し、土方は刀を払って鞘へしまいながら雨の中へ出た。背中を向けて震えているそよの被ったジャケットはぐっしょり濡れているが、少し見ると彼女は濡れていないようで安心する。
足音で顔を上げた彼女は短く悲鳴を上げたあと、夢中で土方にすがりついた。落ちかけたジャケットを土方が押さえる。

「ごめんなさい!私…」

土方の胸ほどにも届かず、腹の辺りで泣きじゃくるそよの頭をそっと抱く。

「────お怪我は」
「私なんかよりあなたが!」
「自覚はおありですか」
「!」
「あなたはもっと賢い」
「ッ…私、私だって…」
「あなたは子どもだ」
「…」
「黙って守られなさい」

雨の中少女は泣き続ける。痛いほどの雨はジャケット越しでは感じないだろうが、それでも極力雨のかからないよう土方は体を屈めた。
携帯を出して山崎を呼び出す。聞こえていないだろうが、そよのために言葉を選んで。
次第に雨も弱まってくる。山崎が着くまでに止んでしまうかもしれない。

…殴られた頬を撫でた。口の中 が切れている。仕草で気付いたのかそよは顔を上げた。
真っ赤に目を腫らして、土方は気の毒にすら思える。この子は何度自らを呪ったのだろうか。

「…痛いですか、」

冷えてしまった指先が土方の頬に触れた。愛撫の仕方も知らない幼い指。
土方は逆に少女の目尻を拭う。似た行為は他の女にもするが、それより柔らかな肌に戸惑った。

「…土方様、」
「はい」
「…このことは公になりますか」
「判断は上がしますが外へは出ないでしょう」
「隠すことは出来ませんか、私とあなたのふたりの秘密には」
「出来ません」

自分は今4人殺しましたから。言いはしないがそよも悟る。
土方は途端に彼女に触れては行けない気がしてきた。こんな汚れた手で、どうしてこの子を抱こうか。
しかし土方を捕まえてそよは離れない。

「────何故あなたは友達と会えないか分かりますか」
「…いいえ、考えたけれど」
「あの娘は天人です」
「! で、でもっ、彼女は私には何もッ」
「逆です」
「…」
「彼女が非を受けないと言えますか」
「そんな…そんなこと、考えなかった、私…」
「…そうなるとつらいのは、あなたでしょう」

服を掴む手が強くなる。土方を見上げる少女が首を振り、雨と違った熱い涙が土方の頬に跳ねた。

「…私、それほど、…私、私ひとりはそんなに影響力が強いのですか」
「だからここに、私がいます」
「…土方様」
「あなたはまだ自分を知るには幼いかもしれない。しかし世間はあなたを待たずに進みます。私はそれを全力で補助しましょう、あなたが許さなくとも」
「…土方様」
「はい」
「今気付きました」
「…はい?」

雨は殆ど止んでいた。
少女もぴたりと泣くのをやめてしまっている。どうしようかと持て余していたのに、全く女はわからない。

「紅が」
「…」
「口紅だわ」
「あ、」

殴られた方と別の頬をそよが撫でた。ちらりと目に浮かぶ嫉妬の情。娘はそんな面ばかり発達が早い。
彼女は勿論口にはしないが、土方はそれとなくつたない彼女の思いは知っている。しかしそれは周りに適当な男がいないというだけだろう。雨で濡れて額に張り付く髪をかきあげ、どうにか溜息は殺す。

「これは、あなたを探す途中で女に」
「私を探しながら遊んでいたのですか」
「まさか。最近女達の間で広がった天人の風習です。男の武運を祈るとかで。ちょっとした流行りでしょう」
「…でも効かなかったわ、あなたは怪我をしたもの」
「…」

そよは土方の腕を引く。思わず体を屈めた土方の腫れた頬に、冷たい感触が触れた。

「山崎ただいま到着しました!ふくちょ………早かったですか?」
「遅ぇよタコッ!」

濡れた庭を回ってきた山崎はあばら屋を覗いて顔をしかめる。内密に処分、とはいかない。

「こっちはあとでいい、先に姫を」
「はいよっ。さ、そよ姫、車がありますから」
「あ、」

ジャケットを取って山崎にそよを引き渡し、土方は内ポケットを覗く。やはり煙草は全滅だ。いらだった様子の土方に気付き、そよにタオルを渡して車に乗せてから山崎が煙草を持ってくる。

「ひとまず彼女を送れ、俺がここにいる」
「何人か呼びますね。…着替えももたせて」
「ったく…厄介な娘だ」
「とか言って、満更でもないみたいですけど?」
「冗談、あんな子ども」



*



「…あのォ…別に俺取って食ったりしないんで泣きやんでもらえませんか」
「ご、ごめんなさい…」
「…まぁ、怖かったでしょうけど」

しかしこうも泣かれては、城へ入ることも出来ない。山崎は車内で困ってしまう。

「…ひ…土方様は呆れたかしら、こんな、お仕事の邪魔ばかりするから」
「え?いや、大丈夫だと思いますけど、もっと厄介なお姫様はうちにいるし…あ、沖田隊長のことですけど」
「ほんとに?土方様は私を見捨てたりなさらない?」
「…」

罪作りな男だ。山崎はそよを気の毒に思う。
見捨るなどはあり得ない、何故ならそれが仕事だから。

「…今後の護衛は外れるかもしれませんね」
「!」
「そもそも向いてないんですよ、副長は。あの人は立ち回りが専門なんです。ここらが限界ですね」
「…そう、ですか」
「ろくな男じゃないですよ。オフの日にあの人探そうと思ったら女の人辿っていけばいいんですからね」
「…そうでしょうね、」
「…もう好きなだけ泣いて下さい」

ほんとに悪い男だなァ。
山崎は呆れて運転席で膝を抱いた。

さっきまでの雲は晴れ、窓の外には雨上がりの青空が広がっている。
散々泣けば彼女もすっきりするだろう。

 

土そよ…だいすき、です…でもなんか変な話に。畜生…。
土そよはどうしても神楽ちゃんをダシにしてしまう

050724