誘 蛾 灯

 

一瞬頭をかすめたのは頼まれたたこ焼きのことだった。
ちらりと一瞬横目で確認してみれば、落としたときのショックでパックからいくつか飛び出して土に汚れている。
また買いに行くのも面倒くさいなぁどうしようかなぁとまさかそんな事を考えているのを読んだわけではあるまいが、目の前の顔がにやりと笑った。交えた刀の向こう、片目が山崎を見ている。
包帯で隠されたもう一方の目は山崎が覚えている限り、以前見かけたときにはあったように思う。その下に目がないのかあるのか、そんな事は今は問題ではなかった。

「久しぶりだなぁ退。その様子じゃ相変わらずパシリか」
「どうもお久しぶりです会いたくなかったけど」

クク、と喉の奥で男は笑う。
少し離れた場所は祭りで賑わっているのに、ここだけ切り離されてしまったような、重い空気が漂っている。それでも妙に醒めているのは、自分たちふたりが本気ではないからだろう。

「───ほんとに来てたんですね、高杉さん」
「俺のために真選組が頑張るみたいだからよォ、誘われてきちまったぜ」
「やだなそんな、蛾じゃあるまいし」
「蛾ね、じゃああんたらが灯りか」
「そんな可愛いもんじゃないです、見つけたら確実に捕まえますよ」
「へェ、俺を?」
「…最後です」

山崎は溜息を吐き、すっと刀を引いて腰に戻した。
何が楽しいのか、祭りに浮かれているのか、やはり高杉は依然として笑っている。

(…祭り好きだもんなぁこの人)

彼のほうもゆっくりと刀をしまう。
…あの頃彼は何を着ていただろうか。もう彼の目しか覚えていない。あの頃襤褸を着ていた自分は今、立派な隊服を着ている。

「…次 見つけたときは斬りますよ」
「なんだよ、命取りになってもしらねーぞ?」
「…これであなたに助けてもらった命の分は返しました」
「お前に俺が斬れると仮定して?」
「…斬れますよ」
「ふうん。…懐かしい話だな」
「…」

きっとあんたにとってはガキの命のひとつやふたつ、ただの気まぐれだったのだろう。山崎は静かに目を伏せる。
そんなのは分かっている。目を開けても高杉はまだそこにいた。

「なぁ、また戻ってこいよ。あ、そっちに居ながらだと便利だな」
「折角ですが、捨て駒探してるなら他を当たって下さい」
「真選組の捨て駒も俺の捨て駒もかわんねぇぜ」

返事はしない。
たこ焼きのパックを拾い上げて土を払う。大分軽くなっているが、今更買いに戻るのも億劫だった。まぁいいか、副長に殴られれば済むことだ。今は寧ろ殴られたい。

「可愛いねェ退くん」
「…さっさと帰るなり捕まるなりして下さい」
「疼くから?」
「…そうっスね、昔変態につけられた古傷が」
「変態とはつれねぇな」
「自覚はあるんですね。帰らないなら火の中に飛び込ませてあげましょーか?」
「どうせ熱いならテメェん中にしとくぜ。ま、気が向いたら戻って来い」
「聞いときましょう、多分一生ないですけど」

卑屈にも見える笑いを絶やさないまま、高杉は祭りの人ごみへと歩いていく。
こんな夜にはあの風体もかえって目立たないらしい。最も、様々な人種の入り乱れた江戸では彼の姿は目立つものではない。

───咄嗟に背中を追いそうになる。引き止めて、縋れたらとも思う。
置いていったのはあんたのくせに、何を今更そんなこと。

(…なんか、調教でもされてたのかなぁ…)

ずっとずっと昔の記憶。
自分の頬を叩いて、山崎は真選組として歩き出した。

誘蛾灯はあんたか俺か。
若干殺傷能力の低い自分を自覚して、次こそは斬ってやろうと思うと鼻歌でも歌いたくなる。

(とりあえずは、副長に言い訳かな)

 

041127