空 蝉

 

───お前はこっち。

そう言われて、残された。
畜生あのハゲ、帰ったらほんとにハゲにしてやらァ。
心の底で副長への思いを募らせながら、沖田はアスファルトから立ち上る熱気に顔をしかめた。
目の前を歩くのは、大きな番傘を差した少女。真っ直ぐ歩くのを、ただついて行く。

「───チャイナ娘」

反応はない。暑い。じりじりと背中が汗ばむのが不愉快だった。
今頃副長はクーラーのかかった車に乗っているだけという仕事をしながら城へ向かっているはず、暑さの分余計に腹が立つ。

「おいチャイナ。耳も口もねえのか」
「うるさいアル。ストーカーかヨお前」
「とんだ自意識過剰な女だな」
「ついて来るなヨ ストーカー」

ぴたりと少女は足を止めた、同じように立ち止まる。
大きな傘で隠れて、彼女の腰から下しか見えない。くっと傘が前に傾き、それきりまた黙りこんだかと思えば僅かに傘が上下する。

(何 笑ってんだ)

暑い。
蝉の泣く声に気付き、そのやかましさを自覚すると無視できなくなる。暑さが増すようだった。
生憎沖田には自分で作ったあのふざけた夏服を着る気は毛頭にない。

この制服は、自身の殻。そう易々と脱げるものではないのだ。

「お前ら嫌いヨ」
「そいつァありがてェ」
「…私 もうそよちゃんに会えないアルか?」
「そりゃ相手は姫様だからなァ、あんたみたいな乱暴な奴にゃ会わせらんねぇだろうよ」
「……」

蝉が狂ったように鳴き、響く愛の歌は頭に潜り込んで頭痛になる。
ふと見下ろした木の根元、蝉の抜け殻を見つけた。かがんでそれを拾い上げる。足が1本ないのを除けば、背中の割れ目以外に損傷はない。
茶褐色の抜け殻は、まるで生き物のような目をしている。

ぐしゃり、と。
握りつぶした。
手の平に刺さって痛い。

視線を感じて顔を上げて、少女を見た。傘の影の下、強い視線がじっと沖田を睨んでいた。
大きな目から涙が流れ、頬の輪郭に沿って伝いあごから落ちる。それとも汗だろうか。

「キライ」

びりびりとした色が見えそう。
はっきりとした言葉、涙では揺らぎもしない声。

「友達なのに」

涙だ。やまない。
涙は止まらず、しかし彼女の目を曇らせずに、伝い、落ちていく。ぽたぽたとアスファルトに落ちた雫は、影の暗さでよく見えなかった。
赤い影の下から、少女は沖田を睨む。

「初めての友達だったのに!」
「  」

何か言いかけて、言うことがなくて沖田は手を開いた。いくつか茶色い破片が降り、汗ばんだ手の平にも残る。

(あんたの傘は殻だ)

だから外が見えていないに違いない。
沖田は手の平を払い、未練もなく、空蝉だったものを地へ落とす。

抜け殻などに興味はない。鳴く蝉はうっとおしい。

上着を脱ぎながら少女に近付いた。
警戒する間も与えず、傘を弾き飛ばして腕を引く。傘は落ちた反動で少し跳ねてくるりと軸を中心に回る。
暴れかけた少女の両腕を捕まえて、脱いだ上着を頭から被せた。
小さな頭を自分に押し付けて。

「そんな不細工な泣き顔晒されちゃ迷惑だぜィ」
「…セクハラ」
「泣き虫」

 

041114