闇 う つ つ


この視界に最近ようやく慣れてきた。世を見ているのは右目ばかりで、左は包帯が覆っている。傷を負ったのは随分前のことであったが、傷が塞がらないのだ。
窓の外は秋。血より透けた赤を誇るように、紅葉の盛りの季節だ。その景色を何かが抜けていく。ぎょろりとした目が高杉を一瞥した。折角の景色であるのに、興醒めだ。

なぁん、甘い声がして高杉は手を止めた。食事中の高杉の、あぐらをかいた膝に三毛猫が頭をすり寄せてくる。 どこから入ってきたのか。他の人間がいないのを確認し、手の平に魚の身を載せて差し出した。猫は目を光らせてかぶりつく。真剣に魚を食べる猫を笑いながら背を撫でた。その腕に、二股の尾が絡みつく。

「…イッテ!又市!」

手の平を噛まれて高杉は猫の背中を叩いた。猫は短く悲鳴をあげて、そして…にやりと笑う。

「おや、これは旦那の手でしたか」
「ったく…次噛んだら今度こそやらねぇ」
「ああっ、そんなこと言わずに!美味しそうな旦那が悪いんですよぅ」

フォローのつもりか手の平をなめてきた。ふん!とそのまま顔面を叩いてやる。

「ぎゃん!動物虐待ですよ旦那!」
「うっせーな、俺の幻覚なんだから大人しくしやがれ」
「ふん、まぁだそんなこと。構いませんけどね」

ふわっと猫の体が持ち上がった。────長く生きた猫はねこまたになる。それを鵜呑みにしているわけではないが、見えて触れるのだから否定しきれない。宙でくるりと回って、二股の尾が高杉の顔を撫でた。

「気を付けなさい。あまり大きな態度では、いつかしっぺ返しを食らいますよ。長く生きているものを甘く見ない方がいい」
「ふん、百年二百年で生意気な。そんなに生きても意味がねぇ、俺は永く名を残す。居るのに居ないお前等より、居ないのに居る存在になってやる」
「好きになさい」

呆れた様子で猫は高杉を見おろした。垂れ下がった尻尾を力一杯引っ張ってやると、猫は無惨にも床に叩きつけられる。猫の大きな悲鳴が響き、廊下を足音がしたので高杉は慌てて窓から猫を放り出した。

「高杉どうした?」
「何がだ」

部屋に入ってきた桂は心配そうな表情だったが、面倒くさそうに食事をする高杉に顔をしかめた。昔はよく笑う男だったが、今の世ではそれは望めないのかもしれない。 その原因のひとつはそれだろう。少なくとも高杉の片目には見えている、桂の肩にすがる赤い小鬼。

「今、声がしたろう」
「馬鹿かお前。なんで俺が独り言言いながら飯食うわけ」
「しかし…」
「気のせい!気のせいだ!」
「いたっ」

箸を持ったままの手で、ばしばしっと桂の肩を叩く。痛いと文句を言うのは桂ばかりではなく、幾らもしないうちに小鬼は高杉を睨んで離れていった。世話の焼ける。小鬼はわざわざ振り返って舌を出した。桂さえいなけりゃ捕まえてひっこぬいてやるのに。

「傷はどうだ」
「ぐじぐじ。うじがわかなくなっただけましだ」
「そうか…幾ら何でも治りが遅いな。やはりあのヤブ医者…!」
「済んだこと言ってもしゃーねぇだろうが。他に医者が見つかるわけじゃあるまいし」

それにこれはそんな傷じゃない。恐らく一生治りきることはないだろう。流れるほどでないにしろ、傷が乾かないので血が滲む。一番心配している桂は感染症を恐れているが、それはないだろう。…妖怪の傷だ。否、神様の。

「…俺はあの男だけは絶対に許さん」
「…許せる奴がいるかよ」

膳を押しやって、高杉は縁側に出て煙管に火を入れた。深く吸って、ゆっくりと煙を吐き出す。天気は悪い。晴れていないが雲は薄く、空気は湿って風が生温い。こんな日は風が呼ぶ。そこはお前のすみかじゃない、お前はこっちの世界の者だ。

 

 

*

 

 

適当に人員を募った集団だった。桂、坂本とは腐れ縁で、高杉は半ば桂に引っ張られる形で参加した。桂のように命を掛けてこの国を守ろうとか、異人の追放だとかを本気で思っていたわけではない。戦えればいいと思っていた。生まれたのは戦のさなかで、いつか剣を取り戦うのだと思っている間に戦争は終結へ向かいつつあった。

初めて戦に意味を持ったのは、壊された社を見たときだった。それまで特に信仰などなかったし、神だ何だと騒ぐ奴等の気も知れなかった。 だけどあのとき、目の前で小さな社が蹴り壊された瞬間。自身の中で何かが沸き起こり、何も考えずに天人の中に飛び込んだ。────そうして高杉は目を失ったのだが。あのとき、自分は確かに両目を抜かれたのだ。

 

 

*

 

 

闇だ。深く続く果てしない闇。高杉は夢を見ているのかと期待したが、両目のあった位置はじくじくと痛い。段々意識がはっきりするにつれて誰かの声なども聞こえてくるが、やはり視界は闇に覆われている。布が当てられているとは言え、わずかな光ぐらい感知してもいいものを。そしてあの恐怖を思い出す。そうだ、光を受けるものがない。

「クソッ、高杉…」
「…どうすんだよ、こいつ」
「! 銀時ッ、貴様何を考えてッ…」
「生まれつきならしらねぇが、目の使えねぇやつをこれから引きずってけってのか?」
「しかしッ…」
「…俺にだって親しい奴ぐらいいたさ」

みんな弱かったから死んでいった。小さな声が闇に沈む。 天人にもそこそこ名の知れた高杉だったが、戦うなどもっての他、今からはひとりでは生きていかれないのだろう。目が痛い。多分他にもあちこち痛いはずだ、多勢の中に飛び込んで行ったのでかなりの攻撃を受けただろう。しかし失った目以外に痛みを感じない。

「桂」
「! 高杉!」
「水」
「わ、わかったッ」

慌ただしい足音が離れていった。ギィ、と床板を軌しませて銀時が側に膝をつく。気配ぐらいわかる。

「高杉」
「…」
「俺がお前を見つけたから他の奴は誰もしらねぇ。目玉は烏が持っていった」
「…あいつらは」
「おめでたいことに治療する気だ。斬られただけだと思ってるんだろ」
「…そうか」
「どうする」
「…」
「足手まといになるか?素直に引っ込むか?」
「────社…」
「あ?」
「…」
「…天人の医学じゃ目玉ぐらい作れるってェ話だけどな」
「あんなやつらに」
「じゃあ野垂れ死ね」
「…」

奥歯を噛みしめて痛みを堪える。余計痛みが増した気がした。桂がばたばたと戻ってきた。他に怪我人がいるらしく、やかましいと声が飛ぶ。声を掛けられても体は起きず、あまり冷たくない水が唇に触れる。こぼれた水が首まで流れた。

「医者が来たぜよ」
「おぅ、酷いな」

そういえば坂本が医者を探しに行くと言っていたか。聞き慣れない声が入ってくる。目が見えないせいなのか、わずかに恐怖を覚えた。先生!助けを呼ぶ、誰かの声。

「…高杉」

桂と反対側から、囁くような声で銀時が声を掛けてくる。そのときに同時に手に何か押しつけられ、一瞬身をかたくした。これは、…使い慣れた自分の刀だ。布団の下に刃を隠して銀時は囁く。

「持ってろ…なんかあいつ、気色悪い」
「…」

まるでそのタイミングを知っていたかのように、呼び子が響きわたった。部屋がざわめき、大声がそのざわめきを割って飛び込んでくる。

「西ッ、天人の襲撃あり!数多しッ至急応援頼むッ」
「ったく…休む間もねぇなッ」

銀時を筆頭に、動ける者が飛び出していく。踏まれやしないかと体を起こそうとしたが、何を勘違いしたのか、桂がお前は無理だと押さえつけていった。残ったのは自分の他に何人か居たはずの怪我人と、来たばかりの医者だけだ。

「────さて…誰からいこうかの」

医者の呟きは酷く軽かった。死臭さえ漂うこの部屋にはあまりにもふさわしくない。目のない高杉には気配しかわからないが、まるで患者を品定めするようにうろうろしている。自分の隣も通った。

「…死に損ないばかりか」
「…!」

ぐっと息を殺す。医者ではない。こんなにはっきり感じる気配は、寧ろ天人に近かった。先生、と救いを求める声が、急に途切れた。薬だと医者の声。飲ませたのだろうか。

「…三十秒」

意味のわからない呟き。なんだ?視覚の奪われた分過敏になった他の感覚に集中する。静かに他へ移動している。

「お前にも薬だ。今度は一分」

気配を意識しながらも、高杉は六十秒を数えてみる。若干ずれたが数え終わるのと一緒に、医者は一分と呟く。

「ほぼ正確だな…」

状況の読めないまま、しかし確かに何かが場に忍び寄っている。生と死を断ち切る細い糸。

「…次は三十分…いや、これだ」
「…先生…そいつらに、何を飲ませたんだ」

高杉以外に様子を伺っている男がいたようだ。やはり同様に不審がっている。一瞬、ぞくりと嫌な気配が体を走った。

「薬だ」
「だ…だって、新倉も、市井も動かなくなったじゃないか」
「眠ってもらっただけさ。────永遠に」
「!」

高杉は跳ね起きて刀を構えた。もう一人の男は動けないらしく、唸る声だけ聞こえてくる。

「ほう、見えているのか?違うな、勘か」
「うっせぇ」
「元気だ。殺すには惜しい」
「狙いは何だ!」

高杉ではない男が吠える。医師が笑った声がした。

「新薬の実験だ。未来を思えば有益な命の使い方だろう?」

「ふざけんなっ!」
「無能どもが幾ら吠えたところで貴様等が勝てるはずがあるまい。これからの江戸は天人についた者が勝ちだ」
「! 貴様ッ、魂を売ったか!」
「魂?ククッ、愉快な。そんな子どものおもちゃなど持ち合わせておらぬ。お前らのその無用な長物、さっさと捨ててはどうだ」
「ッ!」

黙って睨み合っていた高杉が反応する。魂だなどと言う気はない。それでもこのなまくらに、ちっぽけな命を預けてきたのだ。そう思った瞬間に、あの社を壊されたときのようにカッと怒りが体を駆け巡った。自分の意志ではなく飛び出している。刀を構えて振り切った。不意をついたせいかかすめはしたが、やはり見えていないので逃げられる。

「た…高杉!」
「どっちだ!」
「ま、まだ前に、五歩前!」
「猫の方だなッ」
「え?」

目の代わりをした男は言葉に詰まった。勿論猫などその場にいなかったし、ましてや両目を塞がれた高杉は見えていないからこそ自分に尋ねたのに。 しかし高杉は着実に攻めていった。距離感覚はわからないのか決定的な傷は負わせていないが、位置は正確に捉えている。…猫、が。見えているのだろうか。

「クソッ、ちょろちょろしてんじゃねぇッ!」
「逃げるわッ!」

悪い癖が出てきたようだ。高杉は気分が露骨に剣に出る。平静では正確な動きをするくせに、少しでも感情が高ぶると急に荒くなるのだ。

「クッ、お前ら虫けらと遊んでいる時間はこれ以上ない!」

医者が懐へ手を入れる。取り出したのは小さな瓶で、それがよいものであるはずがない。

「高杉!危ない!」
「あ?」
「餞別だッ」

瓶の蓋を弾き飛ばし、医者が中の液体を高杉の顔へかけた。見えていない高杉は一瞬動きを止め、次の瞬間刀を落として叫びだす。傷にかかったのが痛むらしい。男が名を呼んでも聞こえていない。

「そいつは傷から壊死が進む。腐りきって死ぬがいい!」
「あぁっ?何だよ、うっせぇ!イッテェ…ッ!」

立つこともままならない高杉を蹴り飛ばし、医者は動けない男を見た。その目に浮かぶ、殺意。

「だーッ!うっせぇっつってんたろッ俺はイテェんだよッ猫に構ってる余裕はねぇっ!」
「猫?気でも違えたか」

ふんと鼻で笑い、医者は高杉の刀を拾う。それを男に構えた。男が覚悟を決めたとき、天の助けか、戦場から数人帰ってきた。医者が舌打ちをしてそこを飛び出す。

「クソッ…行きゃいいんだろ!イッテェ〜…」
「高杉ッ!?」

男の声は届かない。廊下の声が辿り着く前に、高杉は兵舎を飛び出した。

 

 

*

 

 

「どこまで行く気だ」

何度聞いても答えはにゃあ、猫は黙々と歩き続ける。一歩ごとにピンと立った尻尾が揺れて、それが妙に腹立たしい。目の痛みは何故か段々引いていく。
────そこで、高杉は初めて気が付いた。何故猫が見えるのだ。空の両目は周りに何も見ないのに、悠々と歩く猫だけは煌々と見えている。おまけに気を付けてみればそれは二股の尾を持っていた。なるほど、お迎えとはこんな間抜けな姿をしていたのか。納得してしまって気が抜ける。

「おや、馬鹿なことをお考えだ」
「ッ!?」

立ち止まった猫が鳴いた…否、口を利いた。高杉を振り返ってにゃあと笑う。

「あっ!?」
「こんなご時世、ひとりひとりにいちいち迎えをやるほど神様も暇じゃないのです。今回あなたを呼ばれたのは個人的なのご用」
「は…?」
「白姫様!お連れしました!」
「ありがとう又市」

猫が虚空に叫び、柔らかい女の声がした。姿は見えない。猫だけは得意気に、女がいるのだろうと思われる方を向いて澄ましている。

「高杉様」
「…誰だ」
「先日壊された社に住んでいた者です。一言お礼を言いたくてわざわざお呼び立てしました。その点については申し訳なかったけれど、…少し拗ねてしまうわ。早くわたしに気付いてほしかったのに」
「…どういうことだ」
「お分かりになるまで教えない」

神様と言う割に酷く俗っぽい。なんとなくおかしくなって高杉は笑う。

「素敵ね。あなたはもっと笑うと良いわ」
「ヅラにでも言ってやれ」
「そうね…あなたが笑えばきっと。そう、お礼をしたいの」
「何をしてくれるんだ?」
「わたしの目を、あなたに差し上げてもよろしいかしら」
「…どういう意味だ」
「わたしは殆ど目が見えません。だから奪われた目の代わりにわたしの目玉を差し上げるわ」
「…目玉か」
「だけどわたしの目は人の目とは違うものが見えます。例えばそこの、又市のようなものが」

高杉が視線を遣ると、猫はつんとポーズを取った。蹴ってやると猫らしく鳴いて飛んで逃げる。

「なぁ、その目は」
「はい」
「あんたも見えるようになるのか?」
「…ええ」
「じゃあ片目だ」
「…」
「片目でいい。寄越せ」
「…頭のいい人ねぇ」
「そんなこと言われたのは初めてだな」
「だからわたしはあなたに惚れたんだわ。では片目を、持っていって」

何かがまぶたに触れた。なんとも言いようのない、動く感覚が片目に戻ってくる。痛みはない。

「あ…」
「どうした」

開けようとした目は塞がれた。反対の空の目に、指先らしきものが触れる。

「酷いことをされたのね」
「…あぁ、」
「完全に治すことは出来ないけれど…」

一撫で二撫で。冷たい指先がまぶたを撫でる。

「…傷が残るわ」
「かまわねぇ。嫁に行くわけでもねぇしな」
「でも、傷も塞がらない」
「いい。命がありゃ」
「いいわね、強くて。じゃあ、ゆっくり目を開けて────」

気配が何もなくなった。包帯を外してゆっくりまぶたを上げる。目の前には壊れた社があった。自分が両目を失った場所。片目のせいか距離感が掴みにくい。何か見えた。社だったものにもたれて眠る、小さな子鬼。鬼だろう、高杉の認識では角がある者は鬼だ。

(…神の目、ってか)

今まで見えていた周りが暗かったのか明るかったのかもよくわからないが、いつの間にか夜になっていた。ぐるりと辺りを見回してみる。かさりと物音がして、そっちへ歩いていって白くて長い物を捕まえた。

「わかった」

捕らえた白蛇を目の高さに持ち上げて、高杉は片目でそれを見る。発光する白。

「白菊」
「…聡い人」

瞬きする間に白蛇はひとりの女になった。赤い片目が高杉を見る。ということは自分の目も赤いのだろうか。煌々とした紅葉の色だ。

「思い出した。白菊」
「ええ、あなたの刀の名前。鍛冶屋さんがわたしの社へ来たから名前を貸したわ。ずっと側にいたの」
「あぁ…それで。社壊されたときも、俺より刀が怒ったな」
「ええ、ごめんなさい」
「いいや。────いい女だな」
「…」

目を丸くした女は笑いだした。上品な笑い方で、高杉は何となく馬鹿にされた気分で顔をしかめる。

「変な子ね。気味悪くない?」
「だってあんたが俺の命握ってたんだろう」
「…ひとつ言い忘れたわ」
「何だ」
「わたしが死んだら目玉も死ぬの」

 

 

*

 

 

眠ろうとする高杉の側を、人とも獣ともつかないものが跳ね回っていた。ほんとうならもう起き出したいとこ ろだが、副作用のようなものなのか、目をもらってから熱が引かない。

「やい、貴様、白姫様をどうするつもりだ」
「やい、貴様、白姫様に目をお返ししろ」
「やい、貴様、白姫様をどう思う」
「やい、貴様、白姫様はお前を大層お気に入りだ」
「やい、貴様、白姫様について人間などやめてしまえ」
「やい、貴様、白…」
「やかましいッ!俺にうだうだ指図すんなッ!」

半身起こして一喝すると、もののけはきゃあきゃあ笑いながら逃げていく。それでも完全にはいなくならず、高杉はうんざりして頭まで布団を被った。

「高杉、入るぞ」

部屋に入ってきたのは銀時。遠くまで出ていたのだが戻ったようだ。どうせ多くの手柄を上げたに違いない。

「────お前、その目…」
「…あぁ」

動揺を見せた銀時に思わず笑う。普段澄ましているが案外人間くさい表情だ。焦って寄ってきた銀時が顔を覗きこんでくる。起きあがって向き合えば、片目にそれが赤く映った。

「…どうした、その目」
「拾った」
「ひろっ、ええ〜?ないない……あ、は虫類?」
「…」
「俺の里は共存してたからたまにいたぞ、そういうの」
「…」
「いいねぇ。…見える?色々」
「…お前さっきからバシバシ頭叩かれてんぞ」
「まじかよ。感じねぇ〜」
「…」

銀時の頭に群がった小さい生き物を指で弾き飛ばした。恨み言らしきものを叫ばれる。汗をかいた銀時の頭は髪がへたって平静とは別人のようだ。

「誰だか知らねぇが、よっぽど好かれたなぁ」
「…どういう意味だ」
「貰ったモンが、馴染んでくると」

銀時の指が伸びた。高杉の額に何本かの指先が触れる。わずかに感じた既視感。

「気が狂う」

静かな声。口元は何故か笑っている。狂っているのはどっちだ、思いながら、こんな視界では狂うのも尤もだと思っていた。銀時の向こう側で、異種のもののけがまぐわっている。

「────何、」

生きてりゃ儲けだ。戦場の言葉を吐き出すと、銀時は笑いながら手を離す。

「少しずつ、あっちへ近付くんだぜ」

高杉は黙り、枕元の得物を手にした。しっかり握って引き抜けば、白い抜き身が現れる。白菊。あぁ、視界を取り戻した自分は何がしたかったのだろうか。今となっては両目を失ったことさえも、彼女の計略ではなかったのかとさえ思った。理由もわからないまま後悔していた。

「白菊」

高杉の声に刃が光る。

「…例のヤブ医者な」
「…」
「やっぱり天人側の人間だった。もうどこかに逃がされていて捕まらない」
「…桂捕まえとけよ、追うかもしれねぇ」
「…あいつは真面目すぎらァな」
「…」
「騙し騙されなんて世に、生まれなきゃよかったのに」
「そういうお前は、もうちっと早く生まれるべきだったんじゃねぇの?」

染み着いた血の匂いを笑ってやる。この男ひとりで戦況は変わるのだ。

「…いや」

お前はいつの世でも馴染むのだろうな。

 

 

*

 

 

「江戸でお祭りがあるんですって」
「…ほう」

煙管をくわえ、高杉は視線だけ白菊へ向けた。琴を爪弾きながら、彼女は妖艶に微笑む。片目を歪め、高杉は煙を吐いた。

「────久しぶりに花火でも見に行くか」
「素敵」

もうすぐ秋だ。この目を自分のものにした秋はもう何度目になるのかわからない。
琴の音を耳に、高杉は思考を巡らせた。この女が死ぬのはいつだろう。その時は再び闇が戻ってくる。琴の周りで踊るもののけ。 光の中の闇からは目を背けられない。自分が欲したのは何だったのだろうか。幾度考えても尽きなかった。一生考えるのだろう。

「さぁ────祭りの支度だ」

 

 

090109再録