さよならテディベア


「山崎さんっ!」
「へ?」
「なんですかその顔」
「いや…」

何って。
真選組に入隊してからはや数年、沖田にさん付けで呼ばれたことなどあるだろうか。確かに沖田は上司だが、年は山崎の方が上だ。そんなことを気にも留めていなかった沖田が、今。しかし迂闊に喜べない。彼のこの笑顔は、よろしくない。おまけに髪にはリボンが結われている。完全なお遊びモードだ。

「な…なんですか?」
「山崎さん…」
「…はい」
「これっ、受け取って下さい☆」
「はっ!?」

差し出されたのは可愛くラッピングされた小さな箱。沖田は恥じらった表情で、上目遣いで見上げてきた。元の作りが整っているので一瞬錯覚させられる。

「い…いやいや! 何コレ!? 爆弾ッ!?」
「山崎さんひどぉい!バレンタインチョコですよぉ!」
「え?」
「ほ・ん・め・い・です☆」
「遠慮します!」
「そんなっ…ひどい…総子頑張って作ったのに…」
「なお受け取れません!」
「チッ、つまんねぇ男だな。俺の人生のスパイスにもなりゃしねぇ。こりゃも〜いらねぇから斬っちまおうかな〜斬ろうかな〜」
「心の声漏れてる!」
「はいっ山崎先輩v」
(先輩になった…)

仕方なしに礼を言ってチョコを受け取った。沖田はなおもきらきらとした視線を向けてくる。────食えってか?摘んで食べるジェスチャーをすれば、沖田は満面の笑みで頷いた。

「……い…いただきます…」

死にはしないだろう、多分。と言うよりも死にたくなりながらラッピングを解いて箱を開けた。

「美味しい?」
「…チョコ、ですね」
「なんの変哲もないチョコですから☆」
「………」

ひとつ食べて箱を閉じようとする山崎の手を、沖田がそっと制した。嘘みたいに柔らかい手だ。

「…何?」
「全部食べて」
「……え? 何て?」
「全部」
「食べるから凶器はしまって!」

抜かれた刀から身を引いて、一気にチョコを食べきった。刀をしまった沖田は目を輝かせて山崎を見ている。しかし山崎に変化が見られず、顔をしかめた。

「なんもねぇの?」
「……何なんですか」
「ガラナ…」
「うわぁぁぁ!」
「あっれ〜…あ」

包装紙を見て、沖田はいっけない、と可愛らしく自分の額を叩く。

「総子間違っちゃった☆ こっちは土方さん用だった」
「…こっちはなんなんですか?」
「ただのチョコだぜィ」
「……」
「便所行ってから洗ってない手で一度握りしめただけ」
「死にたい!」
「沖田パワー・注☆入!」
「していらん! ポーズ取るな!」
「つーこたァ土方さんとこに行ったのか…」
「副長なら食べてないですよ」
「いや、マヨつきで山崎よりって書いて部屋に置いてきたから」
「……」
「見てこよ〜」

最悪。この人最悪。今更だが。
とにかく土方が心配なので沖田について様子を見に行く。彼なら今日は書類仕事で、朝から部屋に缶詰めのはずだ。沖田に追いつくと彼は障子に穴を空けて中を覗いていた。それ誰が張り直すと思ってんの!? 泣きそうな山崎を気にせずに、ご丁寧に山崎用の穴も空けてくれた。殴りたい。

「あ」

沖田が穴から離れた。その瞬間、穴から指が突き出してくる。土方の舌打ちが聞こえ、障子が乱暴に開けられた。

「くぉら!なぁにサボってんだテメェは」
「やだなぁ土方さん、目潰しなんて生ぬるい。山崎がどーっしても感想聞きたいって言うから一緒に来たんでィ」
「…」

土方は初めて山崎に気付いたように顔を上げた。その顔には複雑な表情が浮かんでいる。

「…山崎…」
「あ…あの…食べました?」
「…食った。何?」
「い〜感じの薬入りらしいっス」

山崎と土方の視線が合う。見慣れた視線の意味はわかるが、山崎は苦笑いで返した。

「……じゃあこれで我慢して下さい!犯人この人だから!」
「うおっ」

沖田を土方に押しつけて、山崎は一目散に逃げ出した。自分の部屋へ戻り、何事もなかったように仕事を再開する。
ある程度仕事が進み、山崎が一服した頃ふらりと沖田が入ってきた。振り返ればスカーフが乱れ、上着もない。

「やぁ〜まぁ〜ざぁ〜きぃ〜…」
「……」
「おいおい純情な少年が危うく操を奪われるところだったぜィ」
「…自分でまいた種でしょーが」
「だからってあんな奴の種もらってたまるか! 行ってこい! ギラギラしてたからたっぷり構ってもらえるぜィ」
「ヤですよ! あんた暇なんだからたまには上司に孝行したらどうですか!」
「ばっ、お前自分の男だろうが!」
「面倒見切れませんよ!」

埒があかない。山崎は諦めて立ち上がり、僅かに怯んだ沖田を見る。必死で逃げ出して来たのだろう、隠しているが息は荒い。────自業自得、だ。たまには痛い目を見ればいい。隙をついて沖田を捕まえて肩に担ぎ上げる。

「うおっ、何しやがる! 山崎!」
「自分でやったことの責任ぐらい取りなさい! そんなんだからいつまでも子供扱いされるんです!」
「それとこれとは話が違うッ…山崎!山崎ッ」
「しばらく副長に構ってないんで多分溜まってますよ」
「! 山崎!」
「今日はほんっとに忙しいんです! 副長ッ失礼します!」

土方の部屋に入れば彼も山崎の行動を読んでいたのか、もしくは逆かを想定していたのだろうか。シャツの前を半ばまで開けて、山崎を見てにやりと笑う。

「置いてく前に縛ってけ」
「はいよっ」
「バカッ山崎、ばかやろっ…!」




  *




「出てくる」
「はぁい」

障子が開いたので振り返る。思っていたよりは早かった。これから女に会うにはまだ早いが、土方なら大丈夫だろう。忙しい男であるから珍しいことではない。

「部屋の片しとけ」
「はーい。…どっちですか?」
「書類も」
「了解」
「お前でもいいんだけど?」
「夜にまた」

土方は手を振って部屋を出た。やりかけたことだけ終わらせてから土方の部屋へ向かう。

「隊長〜大丈夫ですか?」
「……お前らぜってーコロス…」

床に伏せた沖田から呪いの言葉が漏れる。シャツははだけ、ベルトはしっかりしまっているがどうだったかはわからない。珍しくまいった表情をして、それでも山崎を睨みつけてくる。

「…色事であの人にかなうなんて思っちゃダメですよ」
「クソッ…」

机の書類をまとめて順番を確認する。ざっと中身にも目を通し、目に付いた誤字を訂正する。これは明日までに清書すればいいだろう。
ゆっくり起き上がって沖田はシャツを直す。あぐらをかいて座り山崎に背を向けた。拗ねているのだ。昔から変わらない態度は、口にはしないが羨ましいと思う。俺は世界を知りすぎたな。笑って、机に残った煙草を手にして火をつけた。世界の、裏の姿。ふうっと煙を吐き出す。今頃煙草を忘れたことに気づき舌打ちでもしているだろう。この調子では財布も忘れていそうだから、違う煙の匂いをさせて戻ってくるかもしれない。

「…土方さんは」
「出ました」
「…お前のとこに行ったのかと」
「…約束してんですよ。俺との関係は夜だけなの」

沖田がわずかに振り返る。この男、一番若いせいで知識はあるが経験がない。土方にかなうはずがないのだ、経験値が違いすぎる。さて説明してわかるだろうか。

「俺とあの人は上司と部下じゃねぇと成立しなくてね」
「は?」
「だって難しいんですよ。俺は命を預けて、あの人は俺の命を預かった。あの人の命は隊に預けてある」
「…なんだそりゃ」
「だから、そうだなぁ…真選組はこれからまだまだでかくなります」

自信のある未来予想。沖田が黙って頷いた。
────わかってんのかな、この人。あんたも障害のひとつなんだけどね。若い体を隊服に収めるのは窮屈らしく、騒ぎを起こさなくては気が済まない沖田の尻拭いにどれほど奔走させられていることか。…可愛いからしょうがないんだけど。クソガキだろうが鬼才の持ち主だろうが、可愛くてしょうがない弟だ。

「────そのときに、あの人のそばに俺がいていいはずがないんですよ」
「…」
「隊のためなら政略結婚ぐらいしそうだしなァ、あの人」
「…馬鹿じゃねぇの、お前ら」
「馬鹿ですよ」
「わっかんねぇ…」
「…副長にどこまでされたんです?」

にやぁと笑って沖田を見れば、目を丸くして山崎を見た。俺だって被害を受けたのだ、少しぐらい仕返ししたっていいだろう。

「キスはされました? でしょうね。もしかして最後までヤられちゃいました?」
「ざけんなッ、あんなおっさんにヤられてたまるか!」
「おっ…」

おっさん呼ばわりされるほど年は離れていないはずだが。あぁでも発言がおっさん臭くなってきたのは確かだ、と思う。

(…いや、それは昔からだ…)

何年経つのだろうか。紫煙の行く先を目で追う。この部屋もすっかりニコチンに染まってしまった。

「…山崎は、嫌じゃねぇのか?」
「…何が?」
「…」
「…あぁ…女ですか? ……隊長、あんたァもうちょっと色んなこと知った方がいい」
「は?」
「今夜暇ですか? どうです、下手な芝居でも」




  *




芝居をうつのはこっちの方だが。山崎の思惑が読めたのか、沖田は顔をしかめて逃げかけた。

「ちょいと若旦那、何処行くんです」
「誰が旦那だ!」
「財布のでかい馬鹿旦那の役して下さい。俺があんたんとこの番頭。そうですね、この辺りにはないから家は酒蔵にしましょう。遊興にきたってことで」
「あのなァ!」
「もう一息なんです! ちょこっと、手ェ貸してくれません?」

手を合わせて沖田を拝み、ちらりと様子を見る。無表情で山崎を見ているが、こちとら監察、何年付き合っていると思っているのか。なんだかんだ言ってこの人は頼られるのは嫌いじゃない。

「…目的は」
「後ろを引きずり出したい。女は抱き込みました」
「…」
「…ま、言葉通りに」
「大人って汚い」
「あなたもこうして大人になっていくんですよ」
「…俺の役は?」
「知識もないのに骨董に興味があるふりをして下さい。贋作掴ませて金儲けしてます。その先にはテロリスト」
「…しゃーねぇ」

しゅっと羽織の襟を正して、沖田は山崎の前に立つ。山崎の私物だ。貸すからには汚されるのは覚悟の上である。

「手当出るんだろうな」
「出させましょう」
「よし」

沖田が先に歩いて店へ向かう。着く手前で山崎が前へ出た。

「女将さん、いるかい」
「あら、お久しぶり。…今夜はお連れさん?」

沖田が見ても、女将が山崎に入れ込んでいるのは一目でわかった。沖田を見てわずかに表情を変える。年増、と直感的に思ったが、それでも艶っぽい美人だ。好みでなくとも気持ちは傾く。

「勤め先のね、ぼっちゃんで」

山崎も山崎だ。店に踏み込んだ途端、表情を緩めてすっかり人のいい顔になっている。山崎がなんと自称しようとも、こいつの顔意地が悪い。一体どんな手で善良な美人をたらしこんだのか。…その手が、と言うのだろうが。

「放蕩息子なんですよ、あいたっ、はは、なぁに。ちいとばかしウブでね。男にしてやってよ」
「ッ…お前!」

名前を呼びかけてためらう。なんと名乗っているのかわからない限り、迂闊には呼べない。山崎も気づいたようで、目線だけ合わせた。

「…そんなわけだからサ、いい娘頼むよ」
「そう?なんならアタシが女の凄みを教えてあげましょうか?」
「えぇっ、じゃああたしはどうしたらいいんで?」
「やぁね、冗談。…タケさん、久しぶりなんだもの。意地悪もするわ。さ、じゃあ松の間へ」

通された部屋には既に女が揃っていた。選り取り見取り…とはこのことだ。上座に沖田、隣に女が着く。山崎の隣は当然さっきの女将だ。

「さぁさ、景気よくいきましょう! 乾杯っ!」

山崎の音頭で杯は上がった。女の持つ酒ではなく細い手首が当たる。

「はい、旦那様」
「ん?」
「今日はバレンタインですから、お客様にお渡ししてるんです」
「…どうも」

差し出されたチョコを受け取った。あまりいいことは思い出さない。

「だけど旦那様お若いのね。お幾つ?」
「十八」
「やぁ、ピチピチ。お顔触らせてもらっていい?」

戸惑って頷けば、白魚の手が伸びてくる。びっくりするほど柔らかくて息を飲んだ。その反応を笑われる。────畜生。要するに、日頃近藤達に連れられて行くような店は、こちらが真選組だとわかった上での接客態度なのだ。遊ばれることを楽しむ────と、言うことなのだろう。

「はいタケさん、あなたも」
「わ、嬉しいなぁ。女将さんみたいな美人だと、他にも渡す相手がいるんだろ?」
「やぁね、そんな野暮なこと言うもんじゃないわ」
「あぁ、ごめんね女将さん。ここのところ忙しくて来れなかったから」
「ほんとに。ねぇ旦那様?お休み増やして貰えない?」
「そんかわし給料カットだなァ」
「そ、そりゃないですよ若旦那ァ…」
「うちだって無駄な金はねぇ」
「やだよこの人、あんたの趣味に一番金がかかってるってのに」

ねぇ、山崎がわずかに視線を寄越した。
────全く、天職についた男だとつくづく思う。空の器に女が酒を注いだ。料理も次々運ばれてくる。

「趣味って? 女遊びかしら?」
「ひっひ、ぼっちゃんにゃそんな度胸ありやせんて。あたしなんかは何がいいんだかわかんないんですけどね、骨董? 古美術ってんですか。あれに入れ込んでるんです」
「ま、いいご趣味ね。何がお好き?」
「────やはり、焼き物。漆器もいいが」

山崎の反応を見ながらの答え。大分前にこの話をされたのを思い出して挙げてみたが、正解らしい。満足げな笑み、実に食えない男だ。このヤマに手をかけてから、沖田を使うつもりだったに違いない。

「お若いのに渋いのねぇ!」
「ありゃ土と炎の芸術だ。人力が及ぶものじゃねぇ」

これでいいんだろう? 山崎を見たが彼は完全に女将とふたりの世界に入り込んでいた。…土方とだって、こうはすまい。勿論人目のあるところではふたりは手を触れることもしないが、そうでなくとも雰囲気でわかる。
女将の膝に手を乗せて、見つめ合っては忍び笑いを繰り返す。直視できなくなって沖田は目を逸らした。何故自分がこんな気分にならなくてはいけないのか。

「あーあ、女将さんたら、いつもこうよ。…ね、旦那様。私にもちょっと、いい目見せておくれよ」
「はぁっ!?」
「あんたほどいい男なら、多少若くたって」
「ッ…」

酒の匂いと女の気配にくらくらする。女を抱いたことがないとは言わない。しかし商売女は、しかも年上ならもう懲りた。床についたって今のこの状況は変わらないのだ。

「…あんたらは朝まで仕事なのかィ」
「そうね、お客がつけば…」

────ヤブヘビ。




  *




「ははっ」
「…タケさん?」
「ごめん。ちょっとね、…若旦那どうしてるかと思ったらおかしくて」
「…ふふっ」

ふたりで部屋を出たときの沖田の顔を思い出してか、女将は山崎の肩に顔をうずめて笑った。その頭を抱いて一緒に笑う。裸の肌からダイレクトに震えが伝わってきた。
────ためらう。自分は人を騙しているのだと、笑顔を見るたびに思い出す。

「…そう言えば、若旦那で思い出したわ。焼き物お好きなんですって?」
「…うん」
「ねぇ、だったらうちのガラクタ引き取って貰えないかしら。旦那も好きだったから幾つかあるんだけど、死んでからはほったらかしで」
「────」
「何?」
「…ううん」

所詮、狸と狐の化かし合いか。笑いを殺して女の体を抱きしめた。

「若旦那に伝えとくよ。写真あったら、貸してくれる?」




  *




そろりと廊下の先へ足を進め、山崎は途中で足を止めた。火の気はない。明日でいいかと戻りかけたとき、静かに名前を呼ばれた。一呼吸おいて部屋に入る。土方は広げただけの布団の上に、隊服のまま横になっていた。

「…風邪ひきますよ」
「脱がして」
「も〜…着替えてから寝て下さいって! そうやって横になったら面倒になるだけなんだから」

焦点の怪しい土方の側に膝をつき、皺の寄ったシャツのボタンを外す。無抵抗の土方の身ぐるみを剥がして着流しを着せた。思わずむらっとしたのを誤魔化すために土方の肩を叩き、面倒なだけのでっかいガキだと笑ってやる。土方が腰へ抱きついてきた。愛用のものとは違う、煙草の匂い。

「…やっぱり、あんた財布も忘れていったでしょう」
「おー、なかった」
「しょうがない人だなぁ」
「総悟は?」
「…仕返しに、置いてきました。朝には迎えに行きますよ」
「おっかねぇ母ちゃんだ」
「クソガキばっかり。聞き分けのいい子がひとりぐらいほしいなぁ」

乾ききっていない髪をすく。硬い、男の髪だ。

「どうだ?」
「食らいつきました。写真貰ってきたので明日鑑定してきます」
「写真で出来るのか」
「プロですよ」
「ふぅん」

よくやった、いい子いい子。土方が伸ばした手で山崎を撫でる。俺がお母さんじゃなかったっけ。体を少し倒してちゃんと撫でてもらった。この手が好きだ。このために働いていると言えば嘘じゃない。

「寝る」

山崎の手を引いて、土方は布団に潜り込む。風呂は、と言いかけて、入ってきているだろうと気づいた。大人しく腕の中に収まる。眠いせいだろう、土方は暖かい。それとも酒の入った自分が暖かいのだろうか。

「…副長」

体を伸ばして唇を重ねる。土方が薄く目を開けて、山崎を押して自分からキスをし直した。覆い被さるように土方が体を起こした。
────嫌じゃねぇのか? 沖田の言葉を思い出す。この、他人の匂いをさせて自分を抱きしめる男が? 手を伸ばして土方の首に回した。もう全てが愛しい。




  *




山崎を見るなり沖田は横っ面をひっぱたいた。うぉ、パーだよ。殴られるだろうと予想はしていたが、まさかパーでくるとは。相当まいったらしい。

「何すんですか若旦那、お迎えにあがったのに」
「うるせぇ!」
「聞いてよタケさん、この旦那結局酔いつぶれて寝ちゃったの」
「ま!そいつァいけねぇや。違った意味で女泣かせなお人だね。また埋め合わせに連れてきますからね、ご勘弁。さ、若旦那、帰りましょう。番頭がお待ちです」
「どいつもこいつもッ…!」

最後まで女にからかわれながらふたりは店を離れた。沖田は真っ直ぐ前を向いて振り返りもしない。

「…お気に入りの女はいらっしゃいませんでした?」
「!」

びくんと肩が揺れて思わず吹き出す。もうちょっとつついてからかってみたいが、帰ったら斬られそうなのでこれぐらいにしておこう。

「お嫌でしょうけど、もう一度お願いしますね。次か、長くてその次かで終わりますから」
「…仕事ならやる」
「そうですね。女将が売る気になりました。写真を鑑定してもらいましたが、やはり贋作でした。今度は目利きを連れて会っていただきます」
「ん」
「ま、一点に二百か三百はふっかけられますね。一応用意はしますが」
「あんた」
「はい?」
「土方さんになんかやったのかィ」
「……あぁ」

別れ際に渡された紙袋を、沖田は律儀に持っている。残り物だそうだ。お菓子がなければ生きていけないとうそぶく男だから捨てる気はないのだろう。袋の上部から小さな箱を取り上げて封を開ける。

「…あんたらしくないですね、俺らを気にするなんて」
「納得いかねぇんだ」
「…うーん」

甘い。溶けかけているせいで余計に甘く感じた。甘く甘い、わたしの気持ち? 馬鹿だね。誰かが笑う。

「昨日あの人山ほどもらって来てんですよ、あげるわけないじゃないですか。あ、あんたも問屋の娘にコナかけたでしょ、どっさり届いてますぜ」
「あぁ、あそこか」
「早く帰らないと減ってるかもしれません。名目は屯所の皆様でどうぞ、となっていたので」
「せんべい食いたい」
「ははっ」
「何もやらねぇけど一緒に寝たのかィ」
「そうですねぇ、どうでしょう?」
「…」
「女抱いた、後ですからねぇ」

沖田が言わんとすることはわからなくもない。わからなくていいですよ、チョコレートの残りを差し出すと沖田は黙って受け取った。一口大のトリュフを口にして、沖田は口を塞ぐ。

「あんたは多分、真面目なんだ。あんたに好かれた人は幸せですね」
「…そうかい」
「キスしたげましょうか?」
「なんでだよ!」

自分でも意外なほど大きな笑い声が出た。すれ違う人が振り返り、沖田が山崎を蹴る。
兄弟のようだと言われたことがある。確かに昔、真選組が出来る前の大昔にはふたりで遊びまわっていた。実力を持て余す沖田は近所の子どもたちとそりが合わなかったから、山崎が越してくるまではひとりで竹刀を振り回していたらしい。そう、兄弟のようにずっと一緒だった。

「…あぁ」

きっかけは真選組ではなく、土方だ。沖田を見ると目が合う。異色。…彼がひとりだったのは、力だけのせいではない。

「…ほんとに、幸せになってほしい人ですね」
「は?」
「あんたの幸せなら、願うよ」




  *




「山崎」
「はい?」

チョコレートに添えられたカードを置いて手を止めた。土方は隣にしゃがみ、山崎の手元を覗き込む。貰ったチョコの贈り主を書き出している途中だ。真選組の評判は決してよくはない。少しでも回復させるため、形ばかりだが礼はする。

「…お前は、ほんとは事務仕事の方が好きだろう」
「んふ、どうでしょう」
「テメェも物好きだな」

手を伸ばし、土方が包みを開ける。おっそれ高いやつですよ、山崎の口にひとつ押し込まれた。自分も食べながら箱を眺める。箔の押された、いかにも高級感の漂う箱だ。

「あー、やっぱり今年も副長が一番多いですね」
「人脈はテメェの方が多いんじゃねぇのか」
「俺は別のでもらうって言ってあります」

内緒、のジェスチャーをする。土方が小さく笑って、そうかと思うとその指に顔を寄せてきた。唇が触れたのは指先。

「────っくりした…」
「ならそれらしい顔しやがれ」
「びっくりしすぎたんですよ」

硬直した頬をさする。土方は時々わからない。

「…今のは」
「ヤキモチ、だ」
「ハァ」
「お、総悟も結構あるな」
「あー、それは『若旦那』の分も混ざってるんで。一応」
「あぁ」

手が煙草を探す。部屋に忘れてきたようで、山崎が尻のポケットに突っ込んでいたのをめざとく見つけて引き抜いた。

「…俺の」
「お前俺のからちょろまかしてるだろうが」
「だぁれのせいで吸ってんだか」
「火」

溜息を吐いてポケットからライターを取り出した。わざとシナを作って火を点ける。

「若旦那がね、邪推してんですよ」
「あぁ?」
「アタシが弄ばれてるんじゃないかって、心配してくれてるの」
「はぁん。そりゃいらねぇ心配だ。確かに邪推だな」

土方の手から奪った煙草をくわえる。逆にリストが奪われていった。興味がなさそうに視線を送る。

「げっ、近藤さんとこあの女入ってるじゃねぇか。もらったのか?」
「店で配ってただけみたいですけど。ま、配ってたっても金取られてんですけどね」
「っか〜…相手が悪ィぜ近藤さん。そんで────お前」
「はい?」
「一個抜けてんぜ」
「何処です?」
「俺んとこ。今年は誰だ?『華』?去年は『千夏』か」
「…今年はほんっとに忘れてたんです。隊長にやられるまで気づかなかった」
「だろうな」
「欲しいですか?」
「いや────『別のでもらう』」
「…あんた…しょうがないなぁ」

仕事中じゃないんですか。山崎の声を聞く気もない。煙草を持つ手を押さえ、今度は唇を合わせる。甘いのか苦いのかわからない。

「…ちょっ、あんた調子乗りすぎッ…」
「黙れ」
「ぐっ…」
「────……斬っていい?」
「うおっ」

降ってきた第三者の声に、山崎は土方を突き飛ばした。既に刀を構えた沖田が土方と山崎を交互に睨みつけてくる。

「な、何でしょう!」
「土方さんに客。女」
「仕事中だ、帰せ」
「あんたが言うかっ! いいから行けって!」
「応接間でさァ」

土方を振り払うと嫌々立ち上がった。舌打ちをして部屋を出るのを、山崎は溜息で返す。

「…山崎ィ」
「はい?」
「裏ァ行こうぜ」
「…ハァ」

裏、は応接間の裏だ。つまるところ盗み聞きのお誘いである。近道をして裏に回ると、話は既に始まっていた。山崎も知っている女の声だ。

「確かか」

土方の低い声。…あぁ、いい話ではない。山崎は目を覆う。沖田が黙ってそれを見た。

「…医者へも行きました」
「そうか」
「…ご迷惑は承知です。でも…」
「…そうだな。子ォはいらねぇ」
「……」

女が鼻をすすった。もう十分だ。無意識に煙草を探し、土方が持っていったことを思い出す。沖田に促されて部屋へ戻った。

「…どうでィ」
「ハァ…いや、流石に、心臓冷えますね」

煙草いいですか、許可をもらって新しい箱を開ける。土方の好みの両切りの煙草。もう何年か前に慣れた。

「…子ども、かぁ。それ来られると、まいるなぁ」
「母ちゃん」
「は?」
「腹減った」
「…ははっ、こんないかつい母ちゃんでよければいつでも。何作りましょ」
「おでん」
「それは今すぐ食べたいならコンビニへ。明日なら出来ます」
「団子」
「ん〜…白玉なら出来ますよ。時間かかるけどいいですか?」
「うん」
「じゃあしばらく。…いけます?」
「…」

差し出された吸いかけの煙草を受け取り、沖田は背中を見送る。灰皿を引き寄せて灰を落として、ためらってから口にくわえた。

「ッ…────」
「肺まで入れんのはやめとけ」

戻った土方が人を捜す。あえて黙ってやり過ごした。女は追い返したのだろうか。

「慣れねえ奴が肺入れると寝れなくなるぞ」
「余計なお世話でさァ」
「山崎な」
「……」
「ほしいならやるぜ」
「! あんたはッ…」
「俺の足元にあるならな、誰が持ってても」
「…最低だ」
「なんとでも」

沖田の手から煙草を奪い、男は部屋を出て行く。────男だ。あんな男を、知らない。土方も、山崎も。自分だけが取り残されている気がした。真選組が、時々怖い。