花一匁

 

 

「行くよ」
「おぅ」

その日父は緊張した面もちだった。二十歳になった土方が、ずっと伸ばしていた髪を切るという。ハサミを持たされたのが山崎の父で、彼は小さな町医者だったが医者であるというだけで何かと引っ張り出されていた。
今ではもう山崎は彼を父としていたし、土方も総悟に負けはしない。油断を覚えた男は強くなっていた。

「しかし…ほんとにいいのか?」
「いいんだよ!」
「女にふられたからって…」
「まだふられてねぇ!髪が長いのは嫌だって言われただけだ!」
「…」

遠目に土方を見ながら、総悟はそれはふられたんでさァと知った口を叩く。しかし誰にも知れることだ。仕方なく父は土方の髪に刃を添える。

「剣では勝つが女に負ける近藤道場」
「総悟ッテメェ!」
「わぁッ動かないで!」
「俺の前に不名誉な謳い文句を作りやがって」
「毛も生えそろってねぇガキがナマ言ってんじゃねぇ」

ざくり、髪が静かに土方の顔にかかる。
それは何か儀式じみて、…土方にしてみればそれは儀式であったのだろう。成人した土方はもうこの狭い村では物足りなくなっている。

「…変なの」
「うん」

髪を短くされていく土方を見ながら、ふたりでお茶をすする。庭に敷かれたゴザには髪が降っていき、非日常な何かを感じた。

「…近藤さんが」
「うん?」
「近いうちに江戸へ行くんだ」
「江戸へ?」
「武士なんか廃れちまってるけど、あの人は武士としての道を探す気だ」
「へぇ、土方さんもついていくのかい」
「勿論。俺も行く」
「……」

総悟の横顔を見た。目は土方を見ている。それでもってこの場にない未来を見通している。昔と変わらない髪がわずかに風に揺れた。馬鹿にされたような心地で目をそらす。

「他の人は?」
「何人かは行くんじゃねぇかな」

総悟はその中で最年少だろう。山崎と同じように遊び、大人と同じように木刀を握った。総悟は十二、…あれから二年ほどが経っていた。山崎の年は見立てで十五ほどである。

「いつ頃?」
「さァ、いまツテを当たってるんだと」
「ふーん…」

風の気持ち良い季節だった。かすかに永遠を感じていたのは自分だけなのだろうと、山崎は俯く。縁側から出した足をぶらつかせていると草履が飛んだ。
────総悟に拾われ、近藤道場では手狭なので子どものなかった山崎夫妻に預けられた。正式に養子にしてもらい、山崎姓を受けた。毎日備わっていなかった礼儀作法や言葉遣いを勉強し、そして総悟と走り回るのが日課であった。
世界の全てが総悟であったのだ。自分を人らしくして養ってくれている両親に感謝は勿論あるが、それ以上の存在が総悟である。…山崎はそれは一方的な思いである自覚はあった。総悟の中に山崎なんかはかけらであり、第一が近藤である。
…竹刀はあれ以来握らない。何度も道場で練習や立ち会いを見たが、決して自分はしなかった。近藤に進められたときに断って、しばらく総悟が口をきかなかったことがある。総悟はどうしても自分を戦わせたがった。

「…さぁ、こんなものだろう」
「変な頭」
「か、鏡!」

沖田の一声に、土方が髪を振りまきながら屋敷に飛び込む。自分でも頭の軽さを実感したことだろう。
準備されていたほうきを持って山崎が父の方へ向かうと、退も切ってやろうと進められた。土方ほどでないにしろ中途半端に伸びた髪は確かに邪魔だったので山崎はそこへ座る。優しい手が母の櫛で髪を梳き、ゆっくりハサミが入れられた。風が山崎か土方か分からない髪を飛ばしていく。
土方がどすどすと帰ってきた。照れくささを隠そうとして頭を掻く。

「…変な頭」
「しばくぞクソガキ」
「先生俺もちょっと切ってくれよォ、前髪が邪魔なんでさァ」
「あぁいいよ、少し待って。退の髪はどうしてここだけ跳ねるのかな」
「きっと性格がひねくれてるからだぜィ」
「そうだったら総悟さんなんかパンチパーマだよ」
「…先生、退がカリスマ美容師総悟に切ってもらいてェだからハサミ貸して下せェ」
「やだよ!」

父は笑いながら山崎の髪を揃える。首の後ろで跳ねてしまう髪は、あまり伸びるとみっともない。

「あらあら、賑やかだと思ったらおそろいで」

母が出先から帰ってきた。土方がわざわざ立ち上がって礼をする。

「お邪魔してます」
「ああら土方さんとこの?見違えたわ。男前が上がったわね」
「どうも」
「総悟さんもいらっしゃい。わらび餅を買ってきたのだけど一緒にいかが?」
「いる!」
「じゃあ持ってくるまで待ってて。…退の分も持ってくるからじっとしてなさい、耳を切られてしまうわよ」
「!」

そわそわしていた山崎はがちんと硬直し、父は笑って仕上げをする。はい、と手放されてすぐに母の後を追った。

「お母さんお帰り!」
「ただいま。ほら、顔に髪がついてるわ」
「ん」

額や鼻を指で拭われ、くすぐったさに退は目を閉じて笑う。家事や父の手伝いをするので決して綺麗ではない指先だけれど、山崎にとって大切なもののひとつだ。

「手伝ってくれる?」
「うん!」
「じゃあ器を出してちょうだい」
「うん。…土方さんはいるかな」
「一応持っていきましょうか」
「うん」

人数分の硝子の器を出して、母がそれぞれにより分ける。半端に余ったものを山崎の口に入れて、内緒よと母は笑った。それにへらっと笑い返して、渡されたきなこを持って母と縁側へ戻る。総悟が何か土方をからかったらしく追いかけ回されていた。いや、追いかけさせているのが正しいかもしれない。

「ほら総悟くん、お待ちかねのものが来たよ」
「おっ、来た来た」

振りかぶった土方の腕をひょいとかわし、総悟は縁側へ飛んでくる。前のめりになったのを土方はふんばり、畜生と声を上げるが総悟の耳には入らない。

「土方さんもいるー?」
「俺ァいい」
「だって」
「そう?じゃあふたりでお食べ」
「いただきまーす」
「土方くん、江戸行きの話はどうなった?」

父が土方を見て隣を進める。土方は動かずに返した。

「返事を待ってる最中です。こちらの準備は万端ですが」
「…そうか」

土方の手がかすかに腰の得物にかかった。血縁に拝み倒して金を工面し、土方がようやく手に入れた刀だ。総悟はそれを羨ましがるが、山崎などは土方がそれを差し始めてから近寄るのもはばかられる。

「江戸はまだまだ荒れてるようだ。…慎重にね」
「勿論。危なっかしいのはいっちゃんとこいつぐらいだ」
「何言ってやがんでィ、一番怪しい癖によォ」
「口の減らねぇガキだな、お前なんか連れてかねぇはずだったんだぞ、分かってんのか?」
「足手まといになるとでも思ってんですかィ」
「お前の力は誰だって分かってるさ。だからってテメェみたいなガキ簡単に連れてけるかよ」
「ほらやめなさい。…総悟くんも行くのかい」
「俺が行かねぇで誰が近藤さん守るんでィ」
「はは、言うね。総悟くんは強いのかい?生憎私は見たことがないんだが」
「総悟さんは凄いよ、土方さんにも勝ったもん」
「いつの話してんだ!」
「あっはっは!…昔は総悟くんぐらいになるとみんな剣を始めたものだが、これからは変わるんだろうな。廃刀令を敷こうという話が政府で上がっているらしい」
「なっ…」
「おいおい土方さん土下座して損したな、そんな刀買っちまって」
「うっせぇな!」
「まだあちこちで暴れる攘夷派の力を殺ぐ策だろう」
「ンな…どんだけ俺らから奪えば気が済むんだよ…」
「…国はまだまだ変わるだろうな」
「…」

土方がぐっと拳を固める。彼の家は武士ではない。刀を腰に差そうとも農家である。それでも心は侍であると、山崎はいつだかに父から聞いた。

「大したことじゃねぇ」
「!」
「俺ァ近藤さんがしたいようにするだけだ」
「…ったりめぇだろうが」

総悟は土方を見ずにわらび餅を口にしている。どかりと土方が縁側に腰かけ、母が黙って茶を出した。

「私にもお茶をくれますか」
「はい」

母の静かな動作が山崎は好きだ。父と寄り添う姿勢も柔らかな物腰も。決して器量は良くない。悪くもない。だけど彼女ほど美しい人を他に知らない。

「おい何ぼーっとしてんだィ、いらねぇならもらうぜィ」
「え?あっ、俺の!総悟さん!」
「まぁ、総悟さんったら。私のをお食べなさい」
「それはおばさんのだろィ、退のもんは俺のだ」
「何だよそれ!ダメだよこれは俺の!土方さんの分だったのも殆ど食べちゃった癖に!」
「ケチケチすんなよ」
「してないよ!」

無茶苦茶な理屈に山崎は必死で体をそらすが、母は笑って総悟を撫でる。私はいいからどうぞ、とふたつみっつ食べただけの器を差し出した。

「総悟くんはよく食べるけどなかなか大きくならないね」
「甘いもんばっか食ってりゃ当然だ」
「じゃあ土方さんみたいに女ばっか食ってりゃでかくなれんのかィ。あ、土方さん食えてねぇや」
「やっ、やかましいクソガキ!誰からそーゆーこと教わってくるんだ!」
「土方さん」
「…〜〜〜!」

土方は拳を固めるがぐっと耐える。大人になれと自分に言い聞かせる。

「…俺便所…総悟さん俺の食べないでよ!」
「しつけぇなァ」
「お母さん預かっといて!」
「はいはい」

笑う母に器を渡して山崎は立ち上がる。
ここらもおたずね者が逃げ込んでいるらしい、と父が話しているのが段々遠くなる。厠の手洗い場には短い髪が残っていて、きっと土方が払っていったのだろうと思った。
用を済ませていると何か大きな声が聞こえ、また総悟が土方を怒らせたのかと笑いながら手を洗う。…その間違いに気付いたのは少し遅かった。さっきまであまりにも日常的すぎたせいか。手を洗っていると聞こえた、────母の悲鳴。
何も考える間もなく山崎の足は走り出していた。裸足で強く廊下を踏みしめ、とにかく早く。

「お母さん!」
「なんだまだガキがいるのか」
「…」

庭に珍客。見るからに悪そうな男が二人、手にはそれぞれ刀がある。土方が抜き身を構えたまま山崎にバカと怒鳴ったが聞こえなかった。総悟が縁側で固まっている。恐怖ではない。得物のない彼は唇を噛むしかない。勝ち目のない相手に向かうほど馬鹿ではないのだ。
その傍で、父が母を抱えていた。縁側に母の膝から落ちた器がひっくり返っている。縁側に広がるきな粉、それと床で混じる、目を覆う指の隙間から流れるのは、赤い────

「な…何をした!」
「退!」
「おい、医者と妻とガキひとりじゃなかったか?」
「さぁ?別にみんな殺しちまえばいい話だろ、運が悪かったんだよ」
「ははっ、違いねぇ」
「お母さんに何をした」
「…うるせぇガキだな」
「退、やめなさい!」

父の制止を聞かず、山崎は裸足のまま縁側を降りて男達を睨む。

「うるせぇから黙らせただけだっつの」
「余計うるさくなったけどな!」

天に向かって笑う男達に、山崎はかっとなって踏み出した。土方にぶつかるようにしてその手から刀を奪う。
誰もが怯んだその一瞬、山崎は飛び上がって男のひとりに刀を降った。下からの袈裟裂き。
男の叫び声が響く中、もうひとりが山崎に刀を向けた。それは山崎の腕をかすめたが、すぐに山崎が手を斬りつけて刀は落ちる。それを蹴り飛ばして更に山崎は刃を閃かせた。体重を利用した一突き────

「なっ…なんだこのガキ!」
「…もうひとり」

山崎は死人の胸からそれを引き抜いて、残りの方へ向き直る。怯える男以外には誰も言葉を発さない。
総悟はじっと行方を待っている。────これを二年、待っていた。山崎を拾ったあの日から。

「やめろ、待てッ…」
「許さない」
「やめっ、」
「…退?」

びくんと山崎は動きを止めた。母がまた不安気に山崎を呼ぶ。

「…お母さん?」
「退、何処?」
「…」

今の隙だと見たのか、男が走り出した。砂利を蹴る音に山崎は振り返る。

「忘れ物!」
「!」
「連れて帰れ」
「…ッ」

男は死体を拾って逃げ出した。血がその逃げ道を追っていく。

「退、退は?」
「ッ…」

山崎は母を見て、それから土方を見た。刀を返そうと近寄った一歩、土方がとっさに避ける。山崎は困って刀を下へ置いた。
手を着物で拭い、父の様子を伺いながらおずおずと縁側へ上がる。彼は母を支えながら、きっとまだ状況を理解していない。

「…お母さん」

母の血に濡れた手が伸びてくる。顔の傷は山崎も息を飲むほど酷い。
…目を。もう光を見ることはないだろうと。

「退、大丈夫?」
「……うん」

母が頬を撫でる。
それに手を添えて、山崎は涙を流したけれど母の手は濡れていたから気付かなかっただろう。

「…土方さん、だから言ったろィ」

総悟が静かに呟く。

「あいつは人斬りだって」
「…」
「そうだろ退」
「…総悟さん」
「あっ…ひ、土方くん手伝ってくれ!彼女を運ぶ!」
「あ、はいっ」

土方が慌てて草履を脱ぎ捨て縁側へ上がる。
ふたりがかりで母が運ばれていくのを山崎は黙って見送った。残るのは総悟の視線ばかりになる。

「…二度としないつもりだったんだ」
「勿体ねぇ」
「こんなの…」

山崎はぐっと拳を握る。血に濡れた手を見るのは久しぶりだ、…二年ぶりになる。総悟に拾われたあの日が「最後」のはずだった。

「…お母さん」

はっとして山崎は立ち上がった。廊下に溜まった母の血を踏みつけ、走って母の後を追う。
残った総悟は庭に降りた。暴漢の残していった刀を拾い、構える。

「…何のために拾ったと思ってやがる」

母はそれから数日寝込んだ。傷から熱が出たようで、病院を休めない父の代わりに山崎がつきっきりで世話をしている。近藤や土方がかわるがわる見舞いに来たが、土方などはあの日の話を一切しなかった。それでいいと思う。
それからしばらく後に、近藤達は江戸へ向かった。父の紹介した縁で、政府に関わる人物と約束がついたらしい。
────総悟にはあれ以来会っていなかった。発つ前に一度挨拶に来たけれどわざと隠れて出ていかなかった。…あの話はしたくない。

「お母さんの具合はどうだい」
「お父さん」
「あぁ…熱は下がっているから、そんなに心配しなくとも大丈夫だ。傷口を清潔にね」
「はい」
「…もう、何も見えないだろうけれど」
「…」

母は眠っている。だけど眠っているふりをしているような気がして、山崎はじっと母を見た。目には包帯が巻かれているからよく分からない。

「…お父さん、俺は、…生きるためだったんです、昔は」
「…」
「だけどこの間のは違った。俺、…どうかしたのかもしれない。あんなに体が軽かったのは初めてだった」
「…私は、忘れていたね。退はお母さんから生まれたような気になっていた」
「…」
「お前は優しい子だよ。だけどまだ難しいんだね」
「…俺に、医術を教えて下さい。頭が足りないのは分かってます」
「…教わってどうする」
「家を出ます」
「退」

制止の声に頭を降る。

「あなた達には人間にしてもらえただけで、どんなに感謝しても足りない。俺は息子にはなれません」
「…君は、頑固だね」
「…」
「お母さんにそっくりだよ。退が出ていく理由はない」
「…そうよ」
「! お母さん!」
「退?そこにいるの?手を貸して…そう、抱かせてちょうだい」

手探りの母に手を伸ばす。ほっとしたように口元を緩めた母に、山崎は知らずに緊張した。ゆっくり胸に抱かれていく。

「あなたは怪我してないの?」
「…うん」
「よかった」
「…」

腕の包帯はまだ取れない。父の視線を感じながら、母に抱かれて目を閉じる。

「お母さん」
「なぁに?」
「…」

母はあの日の記憶は朧気で、山崎が何をしたかは気付いていないようだ。
だけど不安で仕方がない。母が本当は気付いているんじゃないかと。人を傷つけてはならないと彼女に教わった。ましてや人を殺めたなど知れたら嫌われるかもしれない。こんなに優しく抱いてはくれないだろう。

「…お母さん、俺が息子でいいの」
「あなたがいいの」

あら泣いてるの、母は笑って山崎の頬を撫でた。

 

 

 

*

 

 

「次!」
「はっ、大阪より出て参った新倉と申します!」

そして目の前でうだうだと経歴を話し始める男にうんざりし、総悟は溜息を吐いた。隣の隊士が慌てて制す。
────江戸へ出て五年。諸事を経て近藤を局長に真選組が組織された。隊長格を与えられた総悟は目下のところ公募した新隊士の面接中であるが、それが面倒でしょうがない。

「…あぁもういい、喋るな。構えろ」

総悟は腰の物を抜いて前へ出た。真選組に与えられた屯所の庭は広く、総悟はあの日を思い出す。…山崎のうちの庭はこれほどまでに広くはなかった。しかし庭の風景など気に止めない総悟にはどれも同じに見える。
いきなり真剣を向けられた志願者は目に見えて怯んだが、他の者が彼に真剣を差し出すのでようやく受け取った。

「…行くぜィ」
「はは、無茶苦茶だなァ」
「!」

一度構えた刀を下ろし、総悟は声の方を向いた。
…懐かしいその顔。長らく見ない間に骨格は男らしくなっている。

「総悟さん久しぶり、いや、沖田隊長だっけ」
「…退、なんでィお前、どうした」
「どうしたって、やだなァ。近藤さんから聞いてない?…今日からお世話になる山崎退です。とりあえずは医療班へって言われてるんだけど」
「…お前なァ…」
「それに俺はあの熱烈な告白は忘れてないよ」
「…何?」
「俺はあんたのもんだって言う。あんたが俺を捨てない限り、俺は総悟さんとは切れない」
「…なんだっけ〜そんなこと言ったっけ〜」
「嘘ォ!」
「あ、お前が刀構えたら思い出すかもしれない」
「…」

総悟があごで示すが、山崎は苦笑して首を降った。

「あなたには刀は向けられない。あ、そこの人も気をつけなさい、この人殺しにいく気だから」
「そうじゃなきゃ意味ねぇだろ」
「見込みありそうなのを選んで育てるのが隊長ですよ。木刀で十分…竹刀でもいいぐらいだ」
「うるせぇなァ首にするぜ。…見本見せてみろよ」
「…」

総悟が志願者の手から奪った刀を投げる。山崎は少し様子を伺い、視線を集めてしまっておさまらないことが分かってやむなくそれを拾った。殆ど同時に総悟が飛び出してくる。

「俺が勝ったら昇格するかな」
「さぁな、土方さんケチだからよ」

刀を鞘で受ける。山崎が剣を抜かない気なのを悟って総悟は顔をしかめた。ぐっと押さえ込むとピシリとひびが入る。

「…怖いなァ」
「よく言うぜ」
「あなたを傷つけるのがさ…ッ!」
「!」

山崎が乱暴に刀を押し切って総悟が引いた。それから総悟が再び突っ込み、山崎が足を振り上げたのはほぼ同時。

「げっ!」

足は見事にクリティカル、…焦る山崎を遠目に見ながら総悟の意識は遠のいた。

 

 

 

「隊長!沖田隊長!」
「ッ…」

頭の揺れる刺激に無理矢理意識を引っ張り起こされる。
沖田がはっと気付くと耳に飛び込んでくるのは派手な喧嘩の騒音だ。目の前には山崎の寄った眉が見える。

「あぁよかった、俺見えますね?」
「…不細工が見える」
「…あれ?ちょっと見えにくいみたいですねェ」
「いや、感度良好視界くっきりだ。…俺は?」

ゆっくり体を起こすと何処か部屋に寝かされているようだ。その外で土方が指揮をする怒鳴り声がする。

「後ろからぶつかられて意識飛んでたんですよ、頭打ったみたいで。大丈夫ですか?今朝早く起きてたし…」
「…あぁ…そうか。胸糞悪ィ夢見た…」
「へぇ?」
「…戻るぞ」
「もう終わるから休んでていいですよ」
「動き足りねぇ。…それともテメェが相手するか?」
「…夜のお誘いなら大歓迎なんスけどね」
「チッ」

立ち上がる沖田に山崎は刀を渡す。それをすっと引き抜いて、山崎の眉間へ向けるが動じない。

「…いつになったらお前は俺に刀向けるんでィ」
「一生ありません」
「俺がお前を殺してもか」
「あなたのものですからどうぞお好きに」
「…行くぞ」
「はいよっ」

山崎が障子を開け放つ。外へ飛び出しながら、自分より一歩早く喧嘩へ戻っていった山崎を見た。
…相変わらず綺麗な戦い方をする。皆に才能だと言われる沖田は、それでも考えて攻撃をする。山崎はとにかく相手ばかりであるから、自らの怪我にも気付かない場合が多い。だからうまいと言うことに気付かれにくいのだ。大きな怪我はまずしない。尤も、自分が怪我をするようではまだまだ未熟とも言えるのかもしれないが。
…あの剣とやり合うために彼を拾って、何年が経つのだろうか。未だにそれは果たされない。

(でもやりあったら、あいつが死んで終わりになる)

目の前の男を斬り捨てながら、沖田は頭を空にして刀を握る。今更山崎を失うことは考えられない。隊にとってなくてはならない男だ。
…自分は。自分ひとりの考えならばどうなのか、沖田は何度か自問した。答えは出ない。強要すれば彼と真剣にやり合うことも出来るだろう。だけど負けは見えるのだ。山崎が沖田を傷つけるはずがない。

「…山崎ィ」
「はいよっ?」

悪あがきの抵抗をしている奴等だけになり、そちらは他に任せて山崎は傍に寄ってくる。一応二十一とした年に、彼は相応しているのか分からない。

「…何でこうなったんだ?」
「はい?」
「…何でもねェ」

見入られたのは鬼か仏か。沖田は刀をしまって戻りかける。

「先に帰ろうぜィ、車回せ」
「え、いいんですか」
「後の処理は土方さん達がやらァ」

沖田が歩いていくので山崎は慌てて追いかけた。止めてあるパトカーの数台は半壊している。

「いいんですかね」
「俺がいいって言ってんだ。…帰ってイイコトしねぇかィ?」
にやりと沖田が振り返る。柄にもなく山崎がかっと頬を染めた。
「ど、どうしたんですか」
「誰かさんが中途半端に寝やがったから、すっきりしなくていけねぇや」

 

 

*

 

 

「待て、車ッ…車降りるまで待てねぇか!」
「待てませんッ」
「イテッ」

ガラスに頭をぶつけ、沖田が動きを止めた隙に山崎がずいと寄ってきた。あぁ、ヤベェ後悔してきた、がっつきやがて。ご丁寧に車のキーを抜いて後部座席へ投げ、沖田の傍に手を突いて口付けてくる。
いくら屯所が空とは言え、そのうち誰か戻るだろう。変な緊張をしてきた沖田をよそに、山崎はスカーフに手をかける。若干血の付いたそれも後部座席へ。急くように口付けたまま山崎は片手で沖田を脱がせていく。片手は自分を支えて使えないのだから器用なものだ。

「…ん、」

人を斬った後に身も清めずにこんな行為。どういう気分か考えてみるがそんな余裕もなくなりそうだ。あんな男達にどんな認識もないのだろう。山崎の鼻先が露わになった胸をかすめ、舌が這うのにびくりと背筋を伸ばす。

「山崎」
「…」

ちらりと山崎は沖田を見上げ、体を起こす。ここ、沖田は見つけた傷に触れた。

「首斬られやがって、危ねぇな」
「あれ、いつだろ」

傷口の上から軽く噛みついてやった。鉄の味がするのを更になめる。山崎がそれを制して再び口付けた。舌を誘い込み、互いにそれを絡め合う。
────ガンッ!
突き上げる衝撃に車ごとふたりは跳ね上がった。山崎がゆっくり離れ、ふたりは無言で口を押さえる。

「何してんだテメェらはッ!」
「…」

気付かなかった。いつの間に追いつかれたのか、パトカーの後ろから半壊したパトカーが更にぶつかってきたらしい。窓の外で喚く土方を睨むとドアを蹴られる。

「姿がねぇと思ったらこんなところでッ…どうした」
「…あんたが突っ込んで来たせいで舌噛んだんでィ」
「知るか!」
「おい山崎大丈夫かィ」

運転席に戻ってうずくまった山崎は動かない。あ、こりゃ死んだかもしれねぇ。沖田が呟くとゆっくり手を上げた。返事のつもりらしい。

「山崎!死ぬのは後にしろ、治療に人手が足りねぇ」
「…あいよ」

ぎこちない動作で山崎が車を降りる。沖田は運転席に移って山崎を引き留めた。

「俺より土方さんを取るのかィ」
「…」
「山崎ィ、クビと色恋どっちがいい」
「…」
「山崎」
「………隊長後でいいですか…」
「二度と触らせねェ」
「嘘ォ!イヤだって隊長は逃げない…」
「逃げたらァ」
「えぇ〜…」
「いいから山崎行ってこい!」

迂回してきた土方が山崎を捕まえ引っ張っていく。逮捕されたような山崎を見送りながら、沖田はどっかりと溜息を吐いた。座席に戻って体を深く沈めて座り、のそのそと制服を直していく。

(…俺ァこのままだと女を知らねェままだなァ)

スカーフを探すが見つからない。そう言えば山崎が後ろへ投げたと思い、体を起こして振り返る。ずんずんとこっちへ戻ってきた土方を見つけ、沖田はうんざりしてスカーフを拾って座り直した。土方はどかりと運転席に座る。

「仕事しろィ」
「お前が言うな。あのなァ、言ってるだろ!お前が誰と好き合おうが構いはしないが、山崎はやめろ」
「構うんじゃねぇか」
「揚げ足取るな。お前だって分かってるだろうが、」
「あれはいつか俺を駄目にするから?」
「…そんな惚れ方してねぇだろ」
「ふん」
「隊の中でそんな態度じゃ困るんだよ。隊長だぞお前は」
「じゃあ俺が副長になりゃいいのかィ」
「あ?」

拾ったスカーフを持て余す。今更巻き直す気にもならず、広げてみれば誰かの血が染みになって何かの形に見えそうだった。

「…昔の夢を見たんでさァ」
「昔?」
「山崎のうちに暴漢が侵入してきて土方さんが震え上がってちびった日の夢でさァ」
「都合のいい脚色してんじゃねぇよ!」
「あの日は鮮明に覚えてる」
「…」

俺が朽ち果てようとも消えやしない。
カチリとライターの音が妙に響いた。沖田は口にしたことはないが、この男が車内で煙草をのむのが好きではない。

「…山崎と斬らせたかったらあいつを本気にして下せェ。一対一の真剣勝負がしたい」
「…どっちかが死ぬじゃねぇか」
「死ぬのはあいつだ」
「…斬りたいのか」
「斬られたくねぇんだ」
「…何なんだよその屈折した惚れ方はよ…」
「だって、俺の為になんて言うんだぜィ」

馬鹿な男。
沢山殺めた命のうちで、沖田がただひとつ拾った魂。
犬のように従順で獰猛。

「欲しくなっちまうだろィ?」

 

 

080428再録