消 え ゆ く 残 り 香

 

人目を避けて抱き合っていた。
妙の勤めるスナックの裏口、気分が悪いふりをして抜け出してきた妙と、日頃の気配も消した男、真選組の土方と。抱き合ったまま口付けを交わすでもなく、じっと時が止まったように固まって。ただ呼吸だけを繰り返しながら鼓動を聞く。
しかしそれも長くは続かない。

「────そろそろ」
「…」

土方が口を開き、妙はゆっくり顔を上げる。どんな表情も作らない18の娘の頬を土方は撫でた。

「お互い仕事中だ」
「…えぇ」

ゆっくりと、しかし名残惜しむ風ではなく、硬直していた体を慣らすような動作でふたりは離れた。それからじっと互いを見つめても、得られるものは何もない。

「お妙ちゃん」
「! ────はい」

妙が振り返るのより早く土方は歩き出していた。裏戸から顔を出した仕事仲間がその背中を見つける。

「誰?」
「道を聞かれたの」
「あぁ。それより気分はどう?」
「もう大丈夫。ごめんなさい心配かけて」
「大丈夫ならいいけど。帰る?お妙ちゃんいつも真面目に出勤してるからきっと休めるよ」
「ううん、大丈夫」
「そう?じゃあいきなりだけどご指名」
「はいはい。────またあのゴリラかしら」
「みたいよ」
「…冗談のつもりだったのに」

 

*

 

微かに自分に移っていたのは妙の香水。すれ違う派手な女達と違って夜の女として礼儀程度の香りだ。
それは土方が歩くたび、女とすれ違うたび、薄れていく。それが惜しくて煙草に火もつけられないのに。

(…なんだって、────)

土方は歩く。仕事中とは特にこれと言ってすることはない。こんな時間に仕事をしているのはサービス業だけだ。
仮にも官吏の土方は一応は仕事時間外である。しかし表向きはそうであっても、昼だろうが夜だろうが見廻りは欠かすことのない仕事だ。当然だろう、後ろめたいものは何故か夜を好む。
…そうして一歩歩くたび、妙の気配は薄れていき、────

(あんな女)

足を止めても消えていく。

 

*

 

いつも土方が残すのは煙草の匂いだ。妙の前では決して火をつけないが、彼の着る物にはその匂いがしみついている。
こんな店だから気付かれることはないが、こんな店だからこそそれは薄れる。他の煙草の匂い、酒の匂い、化粧の匂い…そればかりは妙も少し疎ましい。
隣では土方の上司が、近藤が身振り手振りで何かを面白おかしく話している。妙はいつもの笑みを浮かべながら聞いていない。煙草の匂いが薄れていくことばかりを気にしている。

(こんなとき、あの人が本当に存在しているのかわからなくなる)

近藤が。 …近藤が、いなければと思う。しかしこの男がいなければ出会えなかった。

(私のことなんてさっさと諦めればいいのに)

土方に会うためのだしにされているなど、このおおらかな男は気付いていないだろう。哀れにさえ思う。
────それは自分だって同じなのに。
土方が本気だなんて思っていない。自分がそんなに器量がよくないことも、土方が色男であることも十二分に承知している。遊ばれているわけではないだろうと思うが、その辺りは希望かもしれない。
煙草の匂いなんて嫌いだった。慣れてきた客には断ることだってある。

「…失礼、ちょっと」

席を外してまた裏口から外へ出た。せめてもの悪足掻きのつもりで。

「────よォ」
「え…?」

裏戸を開けたすぐ目の前に、壁にもたれて土方が立っている。こんな酷い隙間のようなスペースを別の物に見せている。

「どうして…」
「出てくるとは思っちゃいなかったがな」

ふかしていた煙草を足元に落として踏み消して、土方は一歩二歩と妙に近付いた。そして妙の肩を抱き寄せる。 妙はまだよく理解が出来ない。

「…土方さん、私以外が出てきたらどうしたの?」
「道でも聞くさ」

どうせ道には迷っている。

 

 


近藤を悪者にしてしまう…

050724