刹 那 の 願 い ご と

 

「刹那も仕事を忘れらんねえって、損しますねえ」
「……ご自分のことですか?」
「俺以外の誰のことですか」

背後から聞こえる宴会の騒ぎに土方は煙を吐き出しながら笑う。ふっと最後の紫煙を吐き捨てて、吸い殻を灰皿にねじ込んだ。その手付きを見ていたそよはそっと膝をついて、黙ってお猪口を差し出す。ぎょっとして顔を上げた土方に黙って燗を持ち上げて見せると、焦った様子で手を振った。咄嗟に声が出なかったらしい。

「まさか、あなたにお酌をさせるなど」
「だって飲めないのにいるだけなんて暇なんですもの。近藤さんも無礼講だとおっしゃってます」
「ありゃあの人だけで……」

そよの視線にしばらく黙って燗とお猪口を見比べて、最後にそよを見る。これでも緊張しているのを悟られぬよう、そよは眉さえも動かさぬ姿勢を保った。いらないことばかりがうまくなる。人を騙すことばかりが。

「……では一口だけ」
「ええ」

ふっと顔を緩めたそよを盗み見るようにすぐに視線を外して、お猪口を受け取って杯を差し出す。そっとわずかに注がれたはずのそれは一瞬にして零れて土方の手を濡らした。

「あら」
「……そよ姫」
「難しいものね。私初めてなんです、こういうこと」
「……そりゃ、ありがたいことで」

ぐっと酒を流し込み、立ち上がりかけたそよの手を土方が捕まえる。酒に濡れたままの手は冷たかった。アルコールのひやりとする感覚にそよは緊張する。

「あの、拭くものを」
「これ以上あなたに俺の世話を焼いてもらえない」
「私がしたいんです」
「じゃあそばにいて下さい」
「……でも」

土方が手を離さないので、そよは諦めてまた元のように座った。土方がやっと手を離す。少しべたつく手をどうしようか思案していると、土方が酒の場でもきっちりまいていたスカーフを外して黙ったままそれをそよの手に巻いた。怪我をしているわけでもないのに妙な行動だ。
宴会はまだ続くだろう。こどもの日、将軍家では若宮がいようがいまいがお祝いという名目の宴会がある。歳の近い栗子がいるということでそよも顔を出したが、どうも大人の集まりはつまらない。その酒宴から、ひとり距離を置いた男の様子ばかりを気にしているせいもある。

「あーあ……」
「……子どもの子守など、面倒だと思ってます?」
「思ってませんよ。厄介なのは子どもよりタチの悪い大人だ」

途端に近藤のバカ笑いが廊下に飛び出してきて、土方は頭を抱えた。思わずその頭を撫でるとまたも土方の動きが止まる。

「……あなたはもう少し、私に心を開いてくださってもよろしいんじゃなくて?」
「いえ……そういうわけでは。……ただ少し、知人に似ているもので」
「どんな方に?」
「俺のものにならない女に」
「……」

夜風がふたりの間を縫って飛んで行く。こんなにも自由に飛び回れる日は、きっと自分の最後だろう、なんてそよは考える。隣にいるこの男も。見えない何かに縛られて。だから好きになったのかどうかは自信がない。

「今日はですね」

口を開きかけて土方は首を振った。ためらう内容ならば強制はしないが、どんな内容でも聞いておきたい。いつまでもこうして、気軽に隣に座ることができる相手だとは思っていない。そんなに子どもではいられないのだから。

「俺の誕生日なんです」
「……まあ!」
「だからですね、酔っ払った勢いで何か、お願いでもできるんじゃねえかと思ってたんですがね」
「……そこまで言ったらもうお願いしてますわ」
「ああ……やっぱ酔ってんのかな」
「私に何ができますか?」

夜空を見上げて土方は溜息を吐く。苦労性のこの男はいつ見ても眉間にしわが寄っているような気がした。
――――土方のものにならないような女が、この世界のどこにいるのだろう。自分の知る狭い世界を想像してみる。

「一瞬だけでいいから、抱きしめてもらえませんかね」

馬鹿な男は呟く。自分が世界の敵だとでも思っているのだろう。情けない顔をしていても眉間のしわは消えなくて、なぜかそよが泣きたくなった。欲しいものはたくさんある。でも絶対欲しいものはひとつだ。私は外を歩く権利が欲しい。そよが欲しいものを持っている男は、誕生日のこんな一瞬でも、気を抜くことができないのだと初めて思い知った。馬鹿な男だ。

「あなたが抱きしめるわけじゃないのですね」
「大人には大人の事情があるんですよ」
「じゃあ誕生日のプレゼントに、一瞬だけ」

心の中で呟くだけならいいだろうと、祝いの言葉と気持ちを抱いて土方に手を伸ばした。

 

 


なんかだめだ 土ミツは私の中で絶対のものになってしまった。

070503