刹 那 の 願 い ご と

 

「これは……見事な」

ぽかんと口を開けた、そんな表情を初めて見た。天に広がる藤棚を見て感嘆の声を上げた土方に嬉しくなる。何だかんだでわがままを聞いてくれるこの男は優しくて、残酷だ。

「きれいなもんですね……」
「わたしの好きな場所です」

鮮やかな藤に見入る横顔を見つめて満足する。喜んでもらえてよかった、声をかけると素直に礼が返ってきた。それが本心からなのか社交辞令なのか見抜けるほど生きていないのでわからない。

「お誕生日おめでとうございます」
「……ご存知で?」
「たまたま聞きました」
「……ありがとうございます」

淡い紫の垂れた世界が狭く見えた。きっとこの人には私の気持ちなど筒抜けなのだろうと思う。もっと大人なら気持ちも隠し、立派に振る舞えるだろうと思うのに。

「……藤は好きです」
「よかった」
「昔は、見れなかった。近所に小さな木はあったんですが、よその家にあげてしまっていたので。藤は、音がよくないと」
「……病気の方がいらっしゃったのですか?」
「……体が弱かっただけですよ。ま、何だかんだで20年、30前までは生きましたがね」

恋の病は不治の病だ。20年も30年も続く厄介な。きっと自分はこの男のことを忘れないのだろうと思う。

「……誕生日と言うのは、なぜ祝うんでしょうね」
「それは、……出会えたことへの感謝です。生まれてきてくれたことへの」
「……俺にはもったいないお言葉だ」

寂しそうな横顔は一瞬で、すぐに仕事の顔で土方は藤を見上げる。一房手に取り、花を眺める仕草にどきりとした。女の、嫌な予感だ。

「……西鶴諸国ばなしに藤の話があります」

焦燥を隠したくて口を開く。こっちを見た土方に動揺を悟られぬよう、枝を折って下さい、とお願いする。

「え?」
「いいから、ひと枝折って下さい。花のついているのを。大丈夫です、わたしの藤ですから」
「はあ……」

またよくわからないわがままを、とでも思っているのだろう。どうせ相手にされないのだから取り繕っても同じだ。手近な枝に手を伸ばし、力を込めて土方が枝を折った。泣きそうになってしまう自分が情けない。手折られた枝を受け取り、折り口を撫でる。

「早朝、魚売りが藤の枝をかざした、高貴な女性を見かけるのです。朱墨問屋や両替商を覗いて歩いている女で、声をかけると、みんなが妻子にも見せようと藤を折っていってしまうから、取り返しているのだと言って消えてしまう。女の正体は藤の精だったのです」
「……よく、ご存じで」
「好きなのです。土方さま、この枝は差し上げます」
「しかし」
「もしかしたら、あなたのところに藤の精が行くかもしれないから」
「――こんな男の、どこがいいんだか」

差し出した藤の枝を受け取り、土方は苦笑する。その目は誰を見ているのだろう。プライドが邪魔して物分かりの悪いふりもできない。

「土方さま、ごまかさずに答えて下さいね。大切な方がいらっしゃいますか?」
「……いなくなっちまって、困ってるところです」

藤の枝に願いをかける。どうか、この人が藤を見せに行きはしませんように。

 

 


藤が満開だから書いてたらゼミで先生が持ってきたので。
このお題で書いてることに気づかず、編集してみたら同じ土方誕生日ネタの土そよだったって言う……やっぱり土ミツベースだっていう……進歩がねえ!

080509