歌声に誘われて
「♪」
トン、と屋根の上に立ち、神楽は天を見上げて手をかざす。いい天気すぎるほどの今日、裸足でじっとしていると焼けた瓦は熱くて、神楽は瓦の上を歩きだした。窓から巡って向こう側へ。
新八がさっき洗濯物を干していたときに飛んだタオルを見つけ、神楽はそれを拾いに行く。
今日の陽気でタオルは殆ど乾いており、神楽はそれをかぶってそこに座り込んだ。足の裏を上げてみるとお尻が滑り、慌てて踵をついて体を止める。「…♪〜」
口を開いて歌い出すのは、母から受けた、子守歌。この地球とは違う言葉の。
ふと思い出して歌ってみているのだが、さっきからどうも歌詞が巡ってしまう。二番の歌詞は何だっただろうか。
部屋の方から神楽ちゃんまた歌ってますよ、と新八の声がする。あぁまたかよあれ耳につくんだよなぁと銀時がおそらくジャンプを読みながら返した。「おいそこの」
「ん?」何処から声がするのか辺りを見回し、下、の声に視線を落とす。
例によっていつものあいつ、憎々しい沖田が団扇で陰を作りながら神楽を見上げていた。今日はなんとも涼しげに着流し一枚、団扇と逆の手にはラムネなんて持っている。女のように長い袖が重そうだ。「何ヨ」
「それ以上歌ったら騒音行為とみなして逮捕するぜィ」
「せめて制服姿で出直しやがれィ」
「こいつァ失礼、実は今潜入捜査中でしてねィ」
「オマワリサーン詐欺師がいるヨ〜」
「よく言うぜ、密航者がよ」
「…」首を一度鳴らして、沖田はまた神楽を見上げた。
カラン、とラムネの瓶の中でビー玉が鳴る。「それなーに?」
「ラムネも知らねぇのかィ」
「初めて見たヨ」
「これはー……炭酸水」
「何だ」つまらなさそうに神楽はまた空を見た。
沖田が瓶を揺らしてビー玉を鳴らす。「さっきの何でィ」
「ん?」
「変な歌」
「変とは何ヨ。マミーの子守歌アル」
「…ふーん」それきりふいと沖田は歩きだした。緩慢に団扇を揺らしながら、そのうち見えなくなる。
「♪〜」
「ちょ、君何してんの?」
「?」銀時の慌てた声に振り返れば、どっこいしょと窓から沖田が屋根へ上がってきた。
袖を掴んだ銀時を振り返り、セクハラ、と一言投げると彼は諦めて手を離す。おっこちてもうちのせいにはしないでね、と嫌な大人のコメントをした。「あつっ、瓦熱ッ!チャイナ、お前足の裏の皮厚いんじゃねーの?面の皮と一緒で」
「やるかコラ」
「ほれ、貢ぎモン」
「…」差し出されたのはラムネ。受け取ったのはいいが開け方が分からず、膝に乗せて持て余す。飲み口の内側にビー玉がしっかりとくっついて、逆さにしても中身はこぼれない。
「あぁ、」
隣に座った沖田が手を添えて、こう、とジェスチャーしてみせる。プラスチックの蓋を口にはめて、神楽が手の平でぐっと押した。
…それで栓は外れた。しかし吹き上げた炭酸水が神楽の膝を濡らす。
隣の沖田を睨みつければ、彼はにやりと笑った。瓶の飲み口を手の平で塞いで沖田の顎を下から殴りつける。「ッてー!この暴力女!」
「お前の非道さよりましヨ!」
「チッ、なんでィ、可愛い悪戯じゃねーか」神楽が被ったタオルを勝手に手にし、濡れた膝をそれで拭く。その手つきがまたいやらしく思え、もう一発殴ってやろうとしたのは止められた。
「…しかも私それなかったら困るヨ。屋根からおっこちたらどうするアル」
「…あぁ、今日は傘がないのか」初めて気付いたように沖田が言って、じゃあ、と神楽を引き寄せた。殆ど押し付けられるみたいに沖田の膝に頭が沈む。その上にかぶせられたのは沖田の袖だ。
「これでどうでィ」
「…何か痛いヨ」
「おっと、そうだ」沖田は袖に手を突っ込んで、駄菓子を次から次へと出してくる。
「…お前何処行ってたアルカ」
「ん?そいつァ野暮ってもんだぜチャイナ。デートだったんだぜィ」
「デート、」
「そう」
「…フーン」
「妬ける?」
「何を焼くアル」
「つまんねぇなァ。…さっきの歌って下せェよ」
「…嫌ヨ」
「そんなこと言うなよ、つれねぇな」
「…」口の中でもごもごとして、神楽は結局黙り込んだ。沖田が団扇を揺らす影が見える。
「…」
むくりと神楽が起き上がり、沖田は不思議そうな顔を向けた。振り返った神楽が手を伸ばす。
「何かある」
「!」慌てて沖田が振り払い、神楽は難しい顔をする。
「……あんた…かあちゃんに子守歌しか教わらなかったのかィ…」
「? 何ヨ」
「旦那ァッあんたのとこの従業員にセクハラされたんですが訴えていいですかィ!」
「えっ神楽何したの!?」
「ねー何ヨそれ」
「旦那ッ性教育は親の仕事だぜィッ」
「嘘ッ神楽何したの!?」
「ねー」
「旦那に聞いて下せェ!」
「えー、ねぇ銀ちゃん!」神楽が立ち上がって部屋に帰っていく。
残った沖田はしばらく彼女を見送り、大きく溜息を吐いて頭を掻いた。「クソチャイナ」
神楽ちゃんを純情な子にするつもりはないけどさ。
沖田はデートなどしてません。050604