び声は届かない

 

 

ゴホッ、喉の痛みに沖田が顔をしかめると、隣の神楽も顔をしかめていた。はぜるような音が耳障りであったらしい。
まだ咳の続く沖田を見て、わざとらしく耳を塞ぐ。

「風邪か?うつすなヨ」
「安心しなさい神楽さん、バカは風邪ひかないってな」
「先生それセクハラです」
「マジで?どの辺?」

ゴホ、と。むせ返る。
神楽を睨んで沖田はシャーペンを持ち直した。

「沖田くん大丈夫〜?」

沖田が頷くと銀八も頷いた。

「授業続けるぞー」
「授業やってた奴が言えよ!」

土方の抗議も流し、担任は授業らしいものを再開した。
弁当を食べ終えてしまった神楽は淀みなくペンを走らせてノートに落書きしていく。桂は机の下で冬へ向けてのセーターを編んでいる。近藤は愛しい人へラブレターを書いては回してもらい、その相手はそのノートの切れ端に触れもしない。一見授業を聞いているような山崎はまた目を開けたまま寝ているようだ。誰にも構わず授業を進める銀八は、それに対して律儀につっこみを入れる眼鏡に絡んでいる。
そんなのがみんな遠い世界のように思えて、沖田はぼんやりと外を眺めた。

(折角、大人しくしてたのに)

空に一筋の飛行機雲、でもあればいかにも青春のようになるのに、そこには何とも例えがたい雲が転がっているだけだった。雲を何かに形容してみようとじっと見つめる。

(…崩れたオムライス…腹減った)

神楽の早弁のお陰で、教室には食べ物の温まった匂いが充満していた。さっき銀八が窓を開けたが、今日は風はあまりない。
崩れたオムライス型の雲も緩やかに見えない速度で崩されていく。

(…知らないうちに、大ごとになってる)

食べ散らかされた雲を見ているうちにほんとにお腹が空いてきて、机に伏せると銀八がすぐに気付く。

「沖田く〜ん?」

沖田の代わりに腹の虫がタイミングを合わせたように返事をして、銀八はようしここまで!と教科書を閉じた。

 

*

 

「あっ!それは私が狙ってたアル!」
「…神楽ちゃんまだ食べるの?」

山崎が手に取ったパンに狙いをつけて、神楽が真っ直ぐ、…戦場のごとくの昼休みの売店前をものともせずに真っ直ぐと走ってくる。
沖田は自分の物にしきっていたパンと紙パックのジュースを持ち、更に山崎の手から神楽の狙いのパンを奪って小銭だけ残して走り出した。山崎をぎょっとさせたのも一瞬で、人の間を縫うように走り抜け出てしまう。
神楽が叫ぶのを振り返り、舌を出して挑発してからまた走り出す。

「待つアルヤキソバDX!!山崎タコヤキパンを確保してろ!」
「ぅぁハイッ!」

とっさに山崎は返事をしてしまう。神楽が真っ直ぐ追いかけてくるのを確認しながら、沖田は昼休みの廊下を走り続けた。人にぶつかりそうになりながら、ヒュッと呼吸が苦しくなるのを感じて階上に逃げる。
もう一歩、あと一歩だけ。
神楽がまだ追いつかない隙に、科学準備室に飛び込んで鍵を閉めた。大きく息を吐きながらドアに体ごと預け、ヒューヒューと鳴る自分の喉を意識しながら呼吸をする。
このポンコツ、ずるずると座り込んだまま床を蹴った。廊下で神楽が自分、正しくはパンを探す声が聞こえるのに。

「沖田」

銀八が手を貸した。いると思ったから来たのだ。
彼が自分の腕を掴んで、それに任せてゆっくり立ち上がる。床にパンを残したままソファーに座らされた。

「無茶しないの」

既に薬は用意されている。黙ったままそれを見つめた。

「治まってたってね、油断出来ないんだよ。言うこと聞かないなら体育祭も参加させないよ」

ほんとは一言叫びたいだけなのに、それが出来ないから走るのに。走ることも許してくれないこのポンコツ。
胸元を押さえたまま、沖田はソファーに崩れこんで咳込んだ。空気が痛い。
オムライスの雲のようだと思った。風に吹かれて四肢が引き裂かれる。
治まっていたのに、あれが現れた途端に再び現れた憎き病。喉の軌みを感じながらも沖田は耐える。いかにも苦しそうな自分の呼吸を笑い飛ばしたかった。

「…大人しくしてれば死なないんだからじっとしてればいいのに」
「それじゃ追いつけねぇじゃねぇか!」

叫んだつもりが酷く情けない声で、沖田は目尻を拭ってソファーに爪を立てた。

 

 


050512