「私────先生が、好きです」

ぺたんこの学校指定鞄をぶら下げて、シャツの裾を出してズボンの裾も折り上げて、すこぶるだらしがないなぁと思っている間に女子は色気づいていた。通りすがりの準備室から聞こえた声。

(────この暑いのに、恋愛なんかよくやるなぁ…)

野次馬根性で覗いてみれば、残念なことに女子は見えない。しかし煙草の箱を握ったまま、多分女子がいるだろう方向を見ているのは自分のクラスの担任だ。

「…ありがとう…ごめんな」

ふぅん、もてるんだなあの人。主に男子が下ネタ方面での恋愛相談をしていたのは知っていたが、…残念ながらそんな話には縁がないわけで、担任とは言えそんなに話をしたことはない。

(…世の中不公平)

俺だってもててもいいはずなのに。

「山崎ーィ」
「あ、何?お前この時間から登校?俺帰るよ」
「いや、昼ぐらいに来てたけど」
「…はいはい保健室ね…」

チクショー。世の中不公平だ!どうして悪い男がもてるのでしょう。煙草吸えるのがそんなにカッコイイか。ひとり分けてやろうかと笑う悪友を断固拒否する。こうなったら俺は純愛を貫くのです、流行だし。

「高杉クン、もちっとまともに来ないと卒業出来ませんヨ」
「留年したら俺渋谷でキャッチやるわ」
「最低!今でも似たようなことしてるくせに!」
「今は池袋」
「知るか」
「なんか食って帰ろうぜ〜、昼抜いて運動したからキツい」
「しね〜〜」
「…お前ら聞かれない状況でその話しろ」
「あ」

いつの間にか準備室から出てきた担任が、煙草とライターを手に立っている。この男は教師のくせにニコチン中毒だ。────女子は帰れているはずがないから、まだ中にいるのだろう。

「保健室登校じゃ出席になんねぇぞ」
「テメェに言われなくても知ってるよ」
「ならもう少しまともに来い。真面目に来いとは言わねえから」
「教師のセリフか?」
「お前みたいなのが毎日来たら疲れるだろうが」
「うわっサイテー。教育委員会駆け込むぞ」

学年一の問題児、高杉の担任になってしまった彼にはさぞかし苦労があることだろう。しかしそんなに嫌っているわけではないようで、このように冗談を言い合うのは何度か見た。

「煙草寄越せよ」
「先生と呼べ教師に煙草をたかるな」
「準備室に女連れ込んでるような奴まともな教師じゃねぇよ」
「誰が連れ込むか。なぁ山崎?」
「うぇっ!?」

いきなり話を振られて反応出来ず、妙な声を出した山崎を教師は笑う。くっくっと笑ったその仕草が大人に見え、確かに生徒と教師の差を感じた。

 

*

 

「日直〜」
「はぁい」

山崎より早く相方の女子が返事をして、じゃあいいやと帰り支度を始める。社会科の教師である担任は、ちょこちょこ担任に雑用を頼むのでこの際任せよう。

「あ、いや…山崎」
「はい?」
「お前来い」
「…先生、僕今日は塾に行かなきゃいけないので」
「よーし、塾に行っててあの成績ならやめちまえ〜」
「先生、私やりますよ」
「いや、力仕事だから。山崎」
「……」

恨めしげに振り返れば、謝るジェスチャー。山崎は知ってる。この男はフェミニストなのだ。男子生徒は奴隷なのだ。

「…はぁい」
「流石山崎。職員室前に俺の名前書いた段ボールあるから準備室持ってきて」
「りょうか〜い。ワタシはアナタの下僕で〜す」
「そう卑屈になるなよ」

じゃあ頼んだ。担任は爽やかな笑顔なんて残して教室を出る。心なしか視線を感じて、見れば女子に睨まれていた。りふじん…足取り重く、山崎は教室を出ようとする。

「知ってるくせに」
「あ?」
「私、この間先生に告白したんだよ」
「……あ、そう」

――――とばっちりで平手を食らった。ウッソー有り得な〜い。頬を押さえてよろよろと、しかし担任が彼女を避けた理由が分かって教室から逃げ出す。ついでに職員室前に寄ってみれば、その段ボールとは副教材だった。えっ嫌がらせ…!詰まれた3つの段ボール、貧弱代表は戦線離脱して手ぶらで準備室へ向かう。

「ひ〜じ〜か〜た〜センセ〜〜」
「あ、やっぱり諦めたか」
「絶対無理」
「いいよ、こっちやってもらうつもりだったんだ」

そうして、笑顔の教師が指差したのはプリントの山。…肉体労働よりは、ましか?

「…つーか先生…俺パーで殴られたよ…」
「げ、マジで?悪いな…流石に女子を放課後残すの不味いだろ」
「…土方先生職員室で評判悪いもんねv」
「うるせー」

プリントを広げていき、全部で10種、一枚ずつまとめて束を作る。煙草吸っていい?申し訳なさそうに聞いてくるので、しょうがないな〜と押しつけがましく応えた。笑いながら、彼は悪いねと火をつける。

「…先生、マジで生徒に惚れたりしないの?」
「……いや…今はねぇよ」
「今はッ!?」
「1年目はな…女子に言うなよ、うるせーから」
「女友達イナ〜イ」
「マジで?わりかし人気よ?『山崎くん』」
「…自分がオタクウケしてんのは知ってます」
「ははっ」
「笑い事じゃないっスよ…俺『高杉』の本命らしいっスよ」
「マジかよ、高杉に限ってそれはねぇな」
「俺だってごめんですよあんな鬼畜」

笑って土方はホッチキスを押す。どう考えても俺の方がしんどいなぁ。代わってもらえないかと見ていると、何を勘違いしたか、煙草をくわえて手を伸ばしてくる。触れたのは、頬。手持ちの5枚の束が滑る。

「赤いな」
「えっ…あっ、ぶたれたとこ…」
「冷やすか」

土方が体を返し、煙草の匂いが広がる。よく考えたら紙を扱いながら煙草ってすげー教師。力の入らない手から、プリントがするりと落ちた。

(えっ……俺何?)

ハンカチに水を浸して土方は戻ってきて、机の端の灰皿に煙草を預ける。目の前にハンカチが踊った、薄い青のストライプ。ハンカチなんか持ち歩いてんだこいつ、

「…どっちだ?」
「へ?」
「ほっぺ。どっちも赤いぞ」
「……ど、どっちだっけ」
「おいおい」

苦笑しながらハンカチを頬に押しつけてくる。冷たい水なのに頬は熱いままで、慌てて手を払ってハンカチを押さえた。

「……いや、俺そういうんじゃねぇからな?」
「あっ…、当然!困るし!」
「お前飽きねぇな」
「〜〜〜!」

おもちゃにされているのだろうか。落ちたプリントを拾って土方は作業を続ける。

「知ってる?お前の相手、俺の時もあんの」
「うえぇっ!ないないッ無理!」
「…そこまで拒否られっとヘコむなぁ」

ち────畜生。大人の余裕なのか、かっこよく見える。女子が惚れるのも納得出来た。

(…つうか、心臓、死にそう、)

どうせなら女の子とふたりきりでドキドキしたい。隣のクラスのさっちゃんとか可愛くてエロい体してんじゃんなぁ!ときめくとこ違くねぇッ!?あと10分したら再開してな、煙草の匂いに捕らわれて、そんな声さえ

 

 

土方先生に爽やかさを求める。

060513