「先生のことが好きってほんと?」

土方の手からプリントの束が滑り落ちた。B5のプリントは派手に舞い広がり、しかし拾い集める者はない。空気は完全に凍りつき、動くことを許さなかった。
早朝の教室、自らの意志で動くことの出来る者は男と女のふたりしかいない。そのひとり、土方はたっぷり50メートル疾走するほど待ってから、ようやく思考を巡らせ口を開く。

「な…なん、で」
「いいから」
「…なんで、お前こんな早いんだよ」
「土方くんは?」
「────その『先生』に、会いに?」
「……馬鹿じゃないの」
「馬鹿だよ」

土方はかたい体に力を巡らせ、緩慢にプリントを集めていった。溜息を吐いた女も側にしゃがみ、一緒にプリントを拾い上げる。スカートから白い太股が覗く。計算でもされているのか、不思議と下着は見えない。
スカートから覗く部分には、きっと入念に日焼け止めが塗られているのだろう。山崎の部屋のゴミ箱に、空になった日焼け止めが捨てられていたのを思い出す。

「なんであんな情けない男。よりにもよってあんなのに惚れなくても、いい女はたくさんいるのに」
「あんたとか?」
「!」

丸い膝に手を載せる。その手に引きつけるように体を寄せても、彼女はひるまなかった。キスが出来る距離だ。

「…土方くん、煙草の匂いがする」
「悪いか」
「よくはないんじゃない?」
「何かしたら怒る?」
「…さぁ?されてみないとわからない」

膝から続く足は紙のように白い。汚すことが出来るだろうか。その力は、ある。
悩む一瞬も与えずに教室へ乱入者があって、白い静寂は破られた。膝から手を離した一瞬に理性は戻ってくる。

「あれ、姉御早いですねィ。おはようごぜぇます」
「おはよう沖田くん」
「うわっウジ虫」
「…もしかしなくてもそれは俺のことかコラ」
「あんた以外にウジ虫がいやすかィ。あっしまった、ウジ虫に失礼だった」
「…お前いつかマジで殺すかも」

そうだ、ここは教室だったのだ。淡く透明な空間でもなく、水色に甘い世界でもない。リアルな現実。だけど少し前まで、ここは幻想の海だった。

「志村」
「…何」
「つき合うか?」

 

 

 

「うわっ!」
「…よォ」
「ちょっ…何してんの!」

山崎は土方を見つけるなり、その口にくわえた煙草を奪った。慌ててポケットから出した携帯灰皿にしまうのを、土方は笑って見る。

「笑い事じゃないよ!何やってんの!廊下だよここ!」
「教室開けろよ」
「も〜っ…ほんとに桂先生に言いつけるよ!」
「言えば?あの人に生徒指導任せんの失敗だぜ」
「…しょうがない子だなぁ」

溜息を吐いて山崎は教室の鍵を開けた。この学校は防犯のためにも教室のドアに鍵をかけることになっている。
と言うのも、構造上廊下がベランダになっているので閉めざるをえないのだ。閉めて回るのは雇った警備員の仕事だが、開けるのは教師が当番制で行っている。

(…あんたが来るってわかってたから、吸ってたんじゃねぇか)

少しぐらいわかってくれればいいのに。それともわかっているのだろうか。

「ほっとけよ。どこもかしこも禁煙禁煙ってよ、喫煙者の権利はどこだ」
「あのね、権利を主張出来るのはルールを守ってる人だけだよ」
「お前なんでそんなん持ってんの?」

土方が教室に入ると山崎もつられたように足を出した。窓側へ向かう山崎はその辺りをチェックする。それも仕事のうちらしい。

「なんか土方くんとか銀八先生と一緒になってちょこちょこやってたらまた癖出て来ちゃってさ…やめないと怒られるんだけどな…」
「…彼女に?」
「そう。言わないけどすっげぇ嫌な顔すんの」
「…のろけんなよ」

途中で奪われた煙草が欲しくなる。流石に教室で吸うわけにはいかない。また屋上へ行くか。土方の迷いがわかったのか、山崎は先に釘を刺した。舌打ちをして鞄を置く。

「土方くんは?」
「あ?」
「彼女いないの?」
「…今はな」
「あっなんかそれかっこいい!」
「ハァ?」
「俺大学でつき合いだしてからずっと同じ人だし。ちょっと言ってみたいなぁ」
「バカが。…そっちんがいいんじゃねぇの?騙し騙されなんて似合わねぇし」
「つうか土方くんは似合いすぎでない?」

山崎がけらけら笑うのにつられて苦笑する。ナチュラルにのろけんなよ、泣きたくなるから。

「…好きな奴は、いるよ」
「おお!」
「でも、好きになっちゃいけない奴」
「…なんで?恋愛の権利は誰だって持ってるよ。人のものだろうが同姓だろうが犬猫だろうが、好きになればいいよ」
「────あぁ、そ…」

山崎の隣まで足を進める。自分の方が背が高い。じっと見下ろして手を取ると、何故か山崎は顔を赤くした。

「好きだ」
「ッ────」
「…練習」
「ちょっ…びっくりしたぁ…ちょっとときめいたじゃんか!」
「何でだよ」

笑い飛ばして山崎を捕まえ、彼のポケットに手を押し込んだ。うひゃあと騒ぐのを一瞥して、携帯灰皿を奪う。

「借りる」
「あっ」
「センセー、禁煙しろよ」
「…するよっ。見つかっても俺の名前出さないでね!」
「言うに決まってんだろうが」

 

 

 

「私は代わり?」
「好きになる」
「…勝手」

沖田は傍観者だった。特に何も言わないが、興味がないわけがない。妙は目元を赤くした。素直に可愛いと思う。思える。

「じゃあ私は土方くんを好きになればいいの?」
「なれるなら」

あんたを好きになる権利も、二十歳にならなきゃもらえない?だけどもう過ぎた話。
権利なら初めから放棄した。

 

smorker's rights

 

沖田をどう動かそうか迷います。

060421