「十四郎!」

鬼の剣幕で母親が怒鳴り込んできても、もう20年もつきあおうかと言う頃になれば全く怖いものではない。身長を追い抜いた頃から母親は怖くなくなった。それは母親も同じらしく、身長を抜かれた頃から息子が可愛くないとあちこちで言い回っている。

「何だよババァ」
「誰がババァよ!あーもう煙草くさっ!あっ、何よこの灰皿!山積みじゃない!」
「うっせぇな!」
「これ一晩で吸ったわけ!?あんたお父さんより先に死んだら承知しないからね!誰かあたしの面倒見てくれるのよ!」
「知るかッ」

般若の形相で母は土方の吸う煙草をひったくり、灰皿へ押しつけた。その勢いで吸い殻を拾い集め、側にあったコンビニの袋に突っ込む。

「いい若いもんが朝からゴロゴロすんじゃありません!ほらっ暇ならお花買ってきて!」
「花ァ?」
「玄関のがしおれてきたから換えたいのよ」
「…玄関に花なんかあったか?」
「もうっ、鈍感!そんなんだから彼女にふられんのよ!」
「ありゃ俺がふったんだよ!」
「まぁっ最低!」
「…刺すぞ…!」
「いいからお花買ってきて!あんたセンスはいいんだから任せるわ」

舌打ちをして土方は立ち上がった。これ以上口論すると確実に喧嘩になる。そうなると完全に立場が強いのは母親で、土方の小遣いも進学費用も、それこそ煙草代も彼女次第だ。

「金は」
「後でレシート見せて」
「……」

俺こいつの血引いてる。こういうときばかり実感する。
仕方なく財布を掴んで家を出た。晩ご飯までに帰ってきたらいいわよ、なんて声が追ってくる。花などは言い訳で、要するに土方を追い出したかっただけだろう。それならばと目的なく歩き出す。ポケットを探り、さっきついでに奪われてしまった煙草を求めて、もう慣れた煙草屋へ。小学生の頃から親の使いで行っていたので顔馴染みだ。未だに使いだとは言っているがばれているのだろう。
生憎煙草屋は休みだった。全く今日はついてない。こうなりゃ早く帰るまで、脚を花屋へ向ける。母親の知り合いのやってる店で、土方の顔もよく知っていた。店先に店員の姿はなく、中をのぞき込む。

「土方くん?」
「!」

口から飛び出しそうな心臓を抑え、土方はロボット的な動きで振り返る。呼んだのは店員じゃない。山崎。隣のクラスの担任教師は、理科系の教師の癖に白衣は着ないので外で見ても違和感はなかった。

「あ…」
「何?花?デート?」
「ば…かか、デートに花って、古典だろ」
「え、そうかな〜。俺今度買っていこうと思ったんだけど…」
「……奥さんに」

まだケッコンしてないよとへらへら笑う男に、血の気が下がる気がする。
何故かこんな男に惚れてしまった。その表情に揺らぎ、その声に落ちた。 山崎が下げたビニール袋を目に留めて、少し迷って声をかける。

「…お前、暇?」
「うん。冷蔵庫が空だったから買い物〜。もう帰るよ」

帰ってFF!ガッツポーズの山崎を見て、ばれないように息を吐く。

「お前んち行っていい?」
「へ?」
「家追い出された。ベンキョー教えてよ、センセ」
「追い出されたって…まぁ夜までに帰るならいいけど」
「何?彼女くんの?」
「高校生は夜うろつくもんじゃないから!お昼は?」
「まだ」
「うちでラーメンでいい?あ、こっち」

方向を指差して歩き出す山崎についていく。こいつこんなに軽くていいんだろうか、旦那にするには頼りなさすぎねぇか。色々考えてしまうのも仕方ないだろう。
取りとめのない話を主に山崎から振りながら、土方が思っていたよりも早く山崎のうちらしい小さなマンションについた。いや、ひとりで住むには広いだろう。そう言えば先月引っ越したと言っていた。どうぞ、と開けられたドアの先、女物にしか見えない赤いサンダル。

「汚いとこだけどお上がり」
「…煙草くさっ」
「昨日銀八先生来てたからね〜」

靴を脱ぎ捨てて山崎が部屋へ入った。鍵閉めて、最近銀八先生うちに飯たかりに来るんだ。情けない事実を聞きながらも、緊張する手で鍵をかけた。この部屋には、俺と、山崎────

「…彼女いんの?」
「いないよ?あぁ、そのサンダルは忘れ物」
「…ふぅん」

中に入った山崎には見えないから、少しだけ、つま先で蹴ってやる。憎い、のかも知れない。俺が、女なら、かなうだろうか。

「何してんの?ラーメン作るよ〜」
「おう。チャーシューとかねぇの」
「ないない」

部屋に入るとリビング。茶色の皮のソファー。側のガラステーブルに、煙草の吸い殻が山積みになった皿がある。床に転がっていた煙草を拾い、尻のポケットに押し込んだ。
センセーここは、ふたりの愛の巣になるの?なんて、銀八なら聞きそうだ。
ソファーに座って無心でいると、ラーメンを連れて山崎が来る。くるくるとよく動き回る男だと感心してしまう。

「…あんた、バカだろ」
「失礼だな〜君は。知ってるよ」

笑いながら箸を差し出された。吸い殻の山をテーブルの端へ移し、いただきます、と手を合わせる。インスタントの麺と一緒に言葉を飲み込む。俺はあんたが、

そして雑談。頼まれた花、昨日の銀八の愚痴、神楽と沖田、進学について、煙草、彼女の失敗、────片付けぐらいはすると言ってそうする間に、山崎は茶色の皮のソファーで熟睡していた。だらりと下がった手の先、足元に落ちているのは式場案内。
ソファーの下にライターを見つけ、アニメのキャラクターのプリントされたそれでさっき手にした煙草に火をつけた。山崎の足元に座り込んで紫煙を吐き捨てる。

「お前起きてる?」

ぴくりとも返事はない。吸い慣れない、銀八の忘れ物らしい煙草は喉に絡む。

「起きてても、寝てたことにして忘れろ」

ゆっくり立ち上がって山崎の顔を見下ろした。俺のが絶対いい男だ。間抜けな寝顔。そう思っても何も変わらない。ずっと先にも。例え自分が女だろうが、きっと同じだ。
ぽかんと開いている口にキスを落とす。無意識に息を止めていて、離れて深く息を吐いた。
煙を吸い込み、吐き出す。吐き出せないものは腹に溜まるから、きっとこんなに苦しいのだ。
山積みの吸い殻に煙草を押しつける。山がぼろぼろと崩れていった。

 

 

なんだか変な雰囲気に…

060408