住所を言われれば大体の場所はわかる。昔から街は庭のようなものだった。賑やかな歓楽街から鬱蒼とした森の中、大きな店の倉の中まで。任務遂行のためにどこへだって走った。今回も住所を与えられ、ここを潰せとただ一言。ならばそのお言葉に従うまで。住所は暗記済みであったが、小道具として用意した走り書きと看板を見比べる。

(汚い道場────)

今回は手早く終えることができない仕事だから厄介だ。内部に入り込み、内側から切り崩す。慎重な行動を、冷静な対応を。どうせ馬鹿の集まりだ。やるからには仕事は徹底的にこなすが、こんな小さな件をいちいち回さないでほしい。うぬぼれるわけではないが、これでもプロなのだ────こんな、半人前でもできる仕事。それほどまでに警戒されるべき集団だとも思えないから、やはり政府の中枢は馬鹿なのだ。

「うちに何か、ご用ですかィ」
「あ……」

声をかけたのは風呂敷包みを抱えた少年だ。十一、二といったところだろうか。ぎょっとするような琥珀色の髪をしている。これが噂の。

「道場の方ですか?」
「へい」
「募集見て来たんです」
「そんなら入りなせえ。頭ァ留守ですけどねィ。……しかしあんた、地味だなァ。見逃しそうになりやしたぜ」

うるせぇなわかってんだよそらぁ職業上仕方ねぇんだよ!若さ故の暴走で脳内で彼をタコ殴りにするが、勿論手は出さない。どんな状況でも揺るがない、ただ指令をまっとうするのみだ。

「道場で待ってて下せえ。……試験があるぐらいわかりやしょ?」
「……ええ!」

ここからだ。実践となると、日常よりも自分を偽るのは難しい。強すぎても弱すぎてもいけない。使い込まれた道場に通されるとそこでは幾人かが竹刀を取っている。腕はそれなりだ。武装警察真選組────この程度か。笑わせる。

「新入りか?」
「予定、です」
「ははっ、今局長と副長不在だから、多分一番隊長が出てくるぜ」
「一番隊長さんって確かすごい若いんですよね」
「いやぁ…ありゃ、若いなんてもんじゃねぇな」

調査済みだ────道場に入ってきた先ほどの少年が隊長と呼ばれて、驚くふりを忘れない。真選組一番隊隊長・沖田総悟。まだ成人もせぬ少年だが、隊長を任されるからにはそれ相応の実力はある。天賦の才があるのだろう。驚いたふりを続けながら、差し出された竹刀を受け取る。不敵に笑う少年は、防具つけた方がいいぜィ、などと生意気に告げた。
さて────どの程度でやろうか。竹刀を握りを確かめながら考える。防具はとりあえずつけない。油断しているようには見えるだろう。適度に負けねばならないが、弱すぎて採用されなければ意味がない。彼でなければ負けやすかったのだが。幾度か道場を覗いたが、彼の太刀は読めない。道場剣術というほど型にはまったものではなく、しかし実践型でもない。実際の戦の経験はないだろう。おそらくはまだ人の命を奪ったこともないはずだ。

(…勝たなきゃいいか)

どうせ容易に勝てる相手だとは思っていない。ならばそれなりの力で向かえば十分だろう。頼むぜ隊長さん、竹刀を構えて前を見る。そして静かに試合は始まった。

 

*

 

「誰だっけ?」
「……山崎です、監察の」

ああそうだった、と長は豪快に笑う。真選組局長・近藤勲、動作もでかけりゃ心もでかいと言った御仁で、もし門を叩いた日に彼がいれば何のチェックもなしに迎え入れられていたかもしれない。剣の腕もさながら、彼が局長と言うポジションにいるのはひとえに人望の厚さからだった。いつ見ても笑っているような男だが、バカじゃない。しかし彼ひとりではここまで来れなかっただろう。引っ張ってきたのはほとんど鬼の副長・土方十四郎の腕だ。切り崩すならこのふたりからだろう。しかしただの寄せ集め集団だと思っていたのが、中へ入ると案外強固だ。

「いやあ驚きだよな、あの総悟を倒す奴がいるなんて」
「…だから、まぐれなんですよ…局長も見たじゃないですか、俺の腕」
「あいつはまぐれで取らせるような奴じゃない。お前には秘めたる才能があるんだろう」
「ハァ…」

秘めたるも何も、故意的に隠しているのだが。まさかそこまでばれているセリフとは思えないので笑って誤魔化す。────あの日、沖田を倒してしまったのが失敗だ。偶然が重なったとしか思われないが、確かに沖田から一本取った。沖田にも多少油断があるだろうとは思ったが、ああまで警戒が薄いとは思わなかったのだ。お陰でちょっとした時の人になってしまい、動きにくくなった。おまけに

「山崎ィ!」

…乱暴な足音。もう指南終わったのか。サヨナラ、俺の平穏。俺の人生でいまだかつて、平穏なんてなかったけど平和はあった。

「……また沖田隊長〜、だからやらないって言ってるじゃないですかぁ」
「俺相手に勝ち逃げしようってのかィ」
「違いますって、しかもあのあと隊長に既に負けてますし」
「確かに見た目へなちょこだから舐めてたけど、それで打ち込まれるほど間抜けじゃねえ!」
「……」

へなちょことか間抜けとか好き勝手言いやがってクソガキ!子どものくだらない執着にはつき合っていられないのだが、こうなってくると本当に動きが取れずに厄介だ。暇を見つけては山崎を探し回っているのだから、迂闊に姿を消せない。大っぴらに負かすのは簡単だが、事後処理が面倒になる。

「何騒いでんだ」

煙草をふかしながら顔をしかめるのは土方だ。見廻りから帰ってきたらしい。沖田が刀を掴んでいるのに顔をしかめた。いい意味でも悪い意味でも女に好かれる顔をしている。近藤とデキているのではないかという根も葉もない噂が、否、根や葉はあったが噂でしかなかった噂がある。確かに信頼関係もここまで深いと怪しい、と思えるほどだ。勿論そんな事実がないことは内部へ入ってはっきりさせたが、いっそ事実であった方がやりやすかったかもしれない。

(期限なくてよかった…)

土方と沖田が何やら口論を始める。既に見慣れた光景であるので、近藤も笑って見ているだけだ。幕府の狗────か。そう呼ばれながらも幕府に消されようとしているこの集団に、同情を覚えなくもない。幕府の狗と言うのなら、山崎こそが忠犬だ。今はとにかく沖田を振り払わなければ。

「あ、俺お茶でも入れてきますね。副長もどうですか?」
「俺はいい」

では、と山崎は席を外す。土方はずっと山崎を警戒している。だからこそ、山崎を副長付きの監察にしたのだろう。組で一番頭が切れるのはこの男だ。沖田さえ振り切れば、あとはこいつを陥落すれば終わる。

「山崎!」
「…着いてこられても台所ですよ?なんでそんなに俺にこだわるんですか」
「俺を負かしたことがある奴なんかそういねえんだよ!」
「……」

ガキが。何で俺この仕事受けたんだっけ、それは報酬がよかったから。裏の金だから所得税もかからない。やっぱり金に目がくらむとろくな事にならない。

「どうすれば満足なんですか」
「さあな、俺もわかんねえよ」
「あのですね〜…」
「近藤さんのお気に入りじゃなきゃ殺してる」

まあ最近の子って怖いわね。あーあ、俺も殺せりゃ早く終わんのに。殺すと後が面倒、スマートじゃない。

「…隊長の腕なら暗殺ぐらいできるのに」
「…自殺志願?」

沖田が眉をひそめた。その表情が大人びて見え、妙に引っかかる。気持ち悪ッ、吐き捨てられた言葉は最悪だった。

 

*

 

侵入者の気配に目を覚ます。ここへ来てからは至って安眠で、正直なところこの睡眠確保が惜しいので仕事が進まないということもある。こんなに平和な潜入先は滅多にない。じっと気配を探ったが、山崎のそばに立って見下ろしているようだ。そのうちしゃがんで山崎が寝ているのか、…と言うよりは生きているのか確認している。何がしたいのかわからないが、素人であるのは確かだ。動いたと思えば布団を剥がし、何故か着物を引いて胸を撫でられる。しばらくそうさせておいたがくすぐったくなってきて、されるがままなのも性に合わない。ぱっと目を開け、手首を引いて起き上がる。声を出す間も与えずに口を塞いで逆に布団に押し付けた。

「夜這いなんかしなくても言ってくれれば……」

侵入者を見て、硬直する。沖田だ。まっすぐ山崎を睨んでくる鋭い視線。

(キャラ間違えた…)

まさか沖田が来るとは思ってもいなかった。雇い先からの文句でも来たのだと思っていたのだ。色々考えるが、押さえつけた手は離さない。口だけは離して、文句を待つ。

「…何しにきたんですか」
「お前何モンだ」
「副長付きの監察です」
「そんな動きがあるかよ。筋肉もそんだけしっかりして、町人なはずがねえ」
「俺は戦にも出てたんですよ、諜報として」
「何で言わない」
「過去の話はしたくないんです」

沖田は不満そうだ。自分だって苦しい言い訳だと思うが、山崎が悪いわけじゃない。もうこのキャラでいいや、ぐっと沖田に顔を寄せて耳元に迫る。緊張が読み取れた。

「隊長こそ、何しにきたんです…?」

思いがけず有効だったらしい。視線をぐるぐるさせてうろたえているのを見ると笑いそうになってくる。ああ、そうか。じっと沖田の顔を見ると、少し赤いような気がした。文字通り、抱き込んでしまえばいいわけか。

「…いつも着いてくるのは、そういうことだったんですか?」
「ち…違う」
「…俺は、隊長…逃げないと知りませんよ?」
「やまッ、」
「逃げないんですね?」

手段を選ばなかったあんたが悪い。

 

*

 

大あくびをしながら山崎は朝食の味噌汁を混ぜる。こいつに毒でも垂らせば終わるのになあ、と嫌になりながら、当番として朝食の支度だ。他に一緒の当番がふたり、めざしを焼いている。

「なあ、俺今朝沖田隊長見たぜ」
「あの人がこんな早くに起きるかあ?」
「……」

少しすくって味見をしながら、沖田のことを考えた。本当に逃げなかった沖田は硬直しきっていたが、山崎としても入隊以来付け狙われている恨みがあるので結局いただいてしまった。紙のように白くなるまで布団を握りしめていた指先が妙に山崎をあおったのだ。ひどくしたつもりはないが、一睡もしなかったらしい沖田は明け方ふらりと出ていった。心配であるのと同時に、今後の対応の判断をしたい。朝食に出てこないようなら見に行こう、思いながら、できた味噌汁を火から下ろした。あとは漬け物を切るばかりだ。

「なんか妙に色っぽくてよォ、ちょっとどきっとした」
「遂に沖田隊長にも女かぁ?どうだよ山崎、そんな話は」
「いやあ俺の耳には入ってないなー」
「今後調べておくように!」
「アイアイサー!」

ふざけて3人で笑ったが、ふと視線を流すと沖田と目が合った。一瞬にして味噌汁も冷めそうな冷気が台所を覆う。しばらく山崎を見て、沖田はすっと離れていった。一瞬ためらい、誤魔化してくると告げて後を追う。

「隊長!」
「…何でィ」
「いやあの、さっきのは」
「…冗談じゃねぇ、あんなこと。二度とごめんだ」

疲れた様子で、山崎を見ずに眉をひそめたその横顔に惹かれる。あれ、俺この顔すごい好きだなあ、思いながら踏み出して手を取っていた。 昨日山崎に触ろうとしなかった手、布団に血のあとを残した爪がそこにある。

「山、」
「逃げないで下さいよ」

山崎が考え始めたのは、どう丸め込めば真選組を潰さずに済むかどうかだ。沖田ひとりぐらいなら、時間があればものにできる。嫌そうに眉は寄ったままだったが、山崎の唇からは逃げなかった。

 

masquerade